第7回  一般水兵とパウダ・モンキー

 前回はエイブルシーマンというA級水兵のお話をしました。同時に「おか者」という一般水兵のことにも触れています。こういったことに関連して、「海の風雲児Foxシリーズ」の第7巻「財宝輸送船団を拿捕せよ」の後書きにいろいろな資料が載っています。この巻は高永洋子さんの翻訳ですが、これは当会の会員だった大森洋子さんの以前のペンネーム(高永徳子を含めて)です。その資料によるとエイブルマンは艦首楼、つまりフォクスルを担当したのです。このためにフォクスルマンと呼ばれてフォクスルの整頓、錨、バウスプリットやジブブーム、フォアヤードなどを受け持っていました。フォクスルマンの中で優秀な者が檣楼員(トップマン)に選ばれて各マストのロアーヤードより上の仕事を担当しました。

 

 「トマス・キッド」シリーズの中で、キッドがトップに登り、尻を叩かれてヤードに進んでゆく、という場面は彼がトップマンとしての修行を始めたことを意味しています。これらトップマンたちはフォアマスト班、メインマスト班、ミズンマスト班に分かれ、1日に何回も展帆、縮帆、畳帆などを繰り返すのですから、かなり大変だったでしょう。こうしてみるとフォクスルから各マストのロアーヤード以上はすべてエイブルマンを必要としたわけで、艦長が優秀な水兵を手放すわけはなく、前回に「くそっ―コードウエルが優秀な水兵ばかりを割いてくれるとは思えん」とフリゲート艦のボウリット艦長が初めは信用しなかったのも当然のことなのです。

 

 一方で、おか者と呼ばれる一般水兵(オーディナリーマン)ですが、この中でも質のいい者が艦尾部(アフト)を担当してアフターガードと呼ばれていました。その役目はメインセイルやスパンカー、ロアーステイスルなどの担当です。更に中甲板(ウエスト)に配置されたのがウエスターと呼ばれた水兵で「腕も頭も必要ない」者たちだったといわれています。狭義に言えばこのウエスターガ本当のおか者です。甲板洗い、ポンプつき、キャプスタン押し、家畜の世話、ごみ処理など最も嫌われる仕事に就かされたのです。

 

 「ポンプつき」って何だろうと思うかもしれませんが、このポンプは排水ポンプ(ビルジポンプ)のことです。木造艦船は航海中前後に揺られ、左右に揺られ、更には捻じれるような力もかかります。どうしても多少の海水が船の中に漏れて入るのはやむを得ません。また甲板に打ちこんだ海水や、艦内の厨房の水などの一部も艦底に溜まります。これを淦水(あか水、bilgeビルジ)というのです。ビルジが多く溜まると危険ですから、准士官である船匠(カーペンター)がいつもその水深を監視していて、一定以上になるとビルジポンプで艦外に排水しなければなりません。そのポンプをついて排水する役割がウエスターに与えられるということです。

 

 小さな船ならば、昔の井戸ポンプのように皮の弁で排水し、大きな船ならばベルトに取り付けた皮の弁で巻き上げて排水します。いずれにしてもポンプの取っ手の両端に人が付き、上下に動かして排水するので重労働です。汲み上げたあか水が濁っていればいいのですが、もし澄んだ水が出てくれば大変で、これは大きな損傷があってどんどん水が艦内に入っていることを示しているからです。戦闘後に気付かなかった損傷が喫水線下にあったとしたらこんなことが起こります。そうなれば長時間、総員でポンプをつくといった光景が海洋小説にはよく出てくるのです。

 

 まあそれはともかく、こういった要員がいったいどれほどいたか、第1級艦ではフォクスルマン、フォアトップマン、メイントップマン、ミズントップマンがそれぞれ60~70名で、アフターガードが90名、そしてウエスターが最も多かったといわれています。同じ水兵といってももっとも上位にいるのがトップマン、それからフォクスルマン、かなり離れてアフターガード、そしてもっとも下がウエスターということになるのです。

 

 航海中に風向きが変わるたびに当直の水兵たちがそれぞれの任務の中で操帆に従事し、一旦ことがあれば総員が招集されて夜中であろうと嵐の中であろうと操帆をしなければなりません。「オール・ハンズ・オン・デッキ!(総員甲板へ!)」は当直であろうと休憩中であろうとすべてを呼び出す号令でした。これを聞くたびに、もう、又かよ、と嘆いた水兵がさぞ多かったことだろうと、同情せざるを得ません。その中で、航海当直を免除されている水兵がいました。それが直外員(アイドラー)で、船倉係、鶏飼育係、ペンキ係、被服係、マスト化粧係、屠殺係、理髪係、士官用カツラ係、士官集会室料理係などだと資料がいっています。その他、艦長付きの従兵などもおそらく直外員だったでしょう。

 

 こうして見てゆくと、ウエスターより下の階級はなさそうですが、それがあるのです。しかも当時の戦闘艦にはどうしても必要な役割を担っています。それが「少年水兵」と呼ばれているシップスボーイです。シップスボーイは13歳から15歳で少年水兵養成所(マリーン・ソサイアティー)に入りテムズ川の練習艦で短期間艦内生活の基本事項を叩きこまれて各艦艇に送り込まれます。こういった少年は大部分が貧しい家の育ちであり、浮浪者や孤児、乞食などを経験しています。あるいはコソ泥を働いて養成所に放り込まれることもあったようです。

 

 もちろん当時は少年法といった法律もなく、感覚からするとこれら下層民の子供たちは家畜のように扱われたといっていいでしょう。艦内では准士官、下士官あるいは士官候補生の召使としてこき使われ、時には男色の対象ともなっていました。何しろ軍艦は男社会ですから当然そういうことも起こるのです。そして、このシップスボーイのもう一つの重要な役割が、戦闘時の火薬運搬作業です。戦闘となると両舷の大砲を突き出していつでも撃てるように準備するのですが、船にとって一番怖いのが火災です。弾丸などは当時炸裂弾ではなく丸弾といわれる銑鉄の塊でしたから火の出る心配はありません。発火薬はこく少量で砲手長が獣の角に入れて腰にぶら下げていますから、まあ あんまり心配はいりません。問題なのは装薬といわれる弾丸を発射するための火薬です。

 

 簡単にいうと、大砲を撃つためにはまず布の袋に入った装薬を砲口から入れ、次に弾丸を入れてからこれが転がり出ないように詰め物を入れます。それから砲口を舷外に突き出し、砲手長が火門からキリを入れて中の装薬の袋に穴を開けます。火門に発火薬を入れると準備完了です。この発火薬に火打石の火花で発火させると(発火しない時は別に用意した火縄を使います)この火が装薬に燃え移って爆発し、その勢いで弾丸が発射されるのです。当然その反動で大砲は大変な勢いでガラガラと後退します。

 

 こういった作業が戦闘時は繰り返されることになるのですが、もちろん敵方も撃ってきますからこちらも損傷を受けます。その時に装薬がたくさんあったら恐ろしいことになるのは眼に見えています。そういったわけで、大砲を撃つときはそのたびに装薬を火薬庫から持ってこなければなりません。その役目が少年水兵で、この場合 彼らは「パウダーモンキー」と呼ばれるのです。

 

 戦闘ともなれば慣れない乗組員は恐怖のあまり砲甲板から逃げ出そうとします。それを防ぐために昇降口に海兵隊員が立ち、下には負傷者とパウダーモンキーだけの通行を許します。火薬庫には大量の火薬がありますからはるか下の甲板にあり、そこを湿らせたフェルトのカーテンで仕切り、その隙間から掌砲長がパウダーモンキーに装薬を渡すのです。彼らはそれを受け取り階段を駆け上がって各大砲に届け、又すぐに階段を駆け下りて火薬庫へと向かうのです。装薬が届かなければ戦闘を継続することは不可能で、叱咤激励されながらパウダーモンキーは必死で役目をこなします。

 

 1級艦ともなれば片舷で大砲が50門もあり一度に2個を運ぶとしてもおそらく30人以上のパウダーモンキーを必要としたでしょう。しかも戦闘時ですから彼ら自身も負傷したり死んだりします。その凄惨な姿をアダム・ハーディがフォックスシリーズの第1巻「ナーシサス号を奪還せよ」で書いています。

「・・・その少年水兵は骨と皮ばかりの、並より小さい小僧っ子で、年の頃は十二そこそこ、せせっこましい顔立ちで、耳が左右に大きく張り、裸足で甲板を踏むたびに、血糊の足形がつづいていく。あの血は本人の足から出たもので、血の池に踏み込んでついたものではない。ほこりと硝煙にまみれた少年はまっ黒で、両頬に蛇のようにくねる二本の筋は、各大砲まで火薬を運ぶ恐ろしい試練と疲労に、われ知らず流した涙の跡とみえた。」(高橋泰邦・高永徳子訳)

 

 海洋小説をいろいろ読んでみるのですが、パウダーモンキーに触れた部分はあんまり見かけません。この「フォックスシリーズ」の主人公、ジョージ・アクロバンビー・フォックス海尉は稀なことにこのパウダーモンキーからその海軍生活を始めました。ホレイショ・ホーンブロアが医者の息子、リチャード・ボライソーは貴族の出身、ニコラス・ラミジも同じ貴族で、プレスギャングに拉致されたとはいえ、トマス・キッドさえ民間のカツラ職人というまあまっとうな生活をしていたのですから、テムズ川の河口域にある湿地帯の貧しい小屋で育ったフォックスは、パウダーモンキーとしてその海軍生活を始めざるを得なかったのは当時としては当たり前でした。

 

 こういった海洋小説としては異例の出身者を取り上げた作者アダム・ハーディは、フォックスに孤独で異常な性格を与える一方で、天性の航海術とハンカチによるパチンコ、つまり小石であろうと銃弾であろうと、それをハンカチで投げて鳥さえも捕らえることができる特技も与えています。アダム・ハーディのおかげで、華々しい海戦の陰に黙々とそれを支えながら、何らの報酬も得ていない貧しい少年たちがいたということが分かります。海洋小説ですから、幾分の誇張があるとしても、海軍のいわば下層階級の物語としてこのフォックスシリーズは一読の価値があろうかと私は思っています。水兵の日常生活とその取り扱いと当時の英国海軍の軍規を知ると、有名な「スピッドヘッドの反乱」でハウ提督がそれを成功裏に鎮めたことも、同時に政治的な色合いの濃い「ノア泊地の反乱」で首謀者が失敗した原因もなるほどと思わせるものがあるのです。