第8回  英国海軍の給料

 これまでいろいろな英国海軍の階級についてお話してきました。今回はかなり現実的な給料についてお話します。この資料は「海の風雲児Foxシリーズ」の第7巻「財宝輸送船団を拿捕せよ」のあとがきに高永洋子さん(大森洋子さんです)が調査して記述しているものです。

 先ず、当時はいろいろな貨幣単位があったようですが、取りあえずは

1ポンド(£)= 20シリング(s)

1シリング = 12ペンス(p)(単数の場合はペニー)

と覚えてください。つまり1ポンドは20シリングであり、また、240ペンスでもあるのです。そこで、階級ごとの1ヵ月の俸給を先ず左の欄(黒字)で見てください。

艦  長                £9~38 (27~114万円

(74門艦)           £20s5   (60.8万円

副  長

一等海尉              £5          (15万円

二等海尉              £4          (12万円

三等海尉              £3s10    (10.5万円

航海長                   £3~7    (9~21万円

船  匠

一等級艦              £5s16    (17.4万円

三等級艦              £4s16    (14.4万円

掌帆長、掌砲長

一等級艦            £4s16    (14.4万円

       六等級艦        £3          (9万円

主計長                  £2s1      (6.15万円

先任衛兵伍長

一等級艦            £2s15p6 (8.3万円

六等級艦            £2p6      (6.9万円

軍  医

20年勤続          £27        (81万円

6年勤続              £16        (48万円

従軍牧師               £12s10  (37.5万円

指導教官               £2s8      (7.2万円

司厨長                  £1s15  (5.3万円

航海士                  £2~3s12 (6~7.8万円

操舵手                 £2s5p6  (6.8万円

船匠見習              £2s10s10 (7.5万円

掌帆手                  £2s5p6  (6.8万円

製綱手                  £2~2s10 (6~7.5万円

縫帆員                  £2s5p6  (6.8万円

掌砲手                  £2s2   (6.3万円

艦長付書記          £1s19       (5.9万円

艦付衛兵伍長       £2s2      (6.3万円

衛生兵

2~3年勤務        £7s5   (21.8万円

1年勤務           £6           (18万円

士官候補生

一等級艦           £2s15  (8.3万円

三等級艦           £2s8       (7.2万円

六等級艦           £2           (6万円

15歳以下             s15        (2.3万円

水 兵

A 級                £1s13    (5.0万円

一 般               £1s5p6  (3.8万円

おか者                 s2p6~s3   (0.4~0.5万円

少年水兵           s11~13   (1.7~2.0万円


 

 

 

ということになります。

 この表の中では分からない特権や負担があるのですが、

  1.  掌砲長は航海の終わりに火薬樽を使用可能な状態で倉庫に返すと1樽について1シリングの報奨金がもらえた。
  2. 軍医の給料は高いが医療器具は自前だった。
  3. 従軍牧師は指導教官の資格を持っていると年20ポンドが加算された。
  4. 15歳以下の士官候補生は年間給与が9ポンドだが、その内の 5ポンドを指導教官に支払う必要があった。従って実質の月給は6.7シリングだった。
  5.  司厨長の月給は安いが、グリニッジ年金受給者の中から選ばれるので、毎月11シリング8ペンスの年金が支給されるので、実質は2ポンド7シリング4ペンスで他とあまり変わらない。またいろいろな業務上の特典(例えば肉を煮るときに出る油の独占など)もあった。
  6. 1695年にグリニッジ海軍病院が設立され、その維持費として水兵たちは毎月6ペンスを差し引かれた。

 さて、この数字が実際の生活にどういった影響があったのかは、現代の貨幣価値に直してみないとよく分かりません。資料によると「パンが2斤で1シリング、艦上で毎日コーヒーを飲むとして、豆2ポンドで34シリング、ポーツマスの居酒屋の安定食が4ペニー、そんな物価と比べてみると面白いだろう。」とあるのです。

 

 現在のわれわれの貨幣価値に換算するのはとても難しいのですが独断と偏見で、えいやっ!とやってみましょう。先ず、パンですが現在ちょっとまともなパンは1斤300円から350円ぐらい、これで計算すると1シリングは600~700円になります。つまり

1ポンド = 12,000~14,000円 → 13,000円

1シリング         →  650円

1ペニー          →   54円

 となります。この計算でいくとポーツマスの居酒屋の安定食は216円ですから、ちょっと安すぎだなあという感じです。一方コーヒー豆2ポンド(約900グラム)は22,100円、100グラムざっと2,500円です。当時コーヒーは貴重品だったとはいえかなり高価です。

 

 基本的にこういった貨幣価値の換算はあまり意味がありません。なぜかというと工業生産の背景が全く違い、物の価値観が違うからです。例えば当時 現在のペットボトルが(極少数生産で)あったとしたら、目を剥くような価値が出たでしょう。また、当時普通の品だった鵞ペンは今ではほとんど手に入らない貴重品です。

こういった矛盾にあえて目をつぶって、艦長の給料という面から常識的に円換算すると

1ポンド    30,000円

1シリング     1,500円

1ペニー           125円

ぐらいでしょうか。これで計算したのが上の表の右(青字)の部分です。

 

 日本円に換算するとかなり身近に感じられるのですが、いろいろ面白いことが分かります。つまり、

  1. 士官以外はすべて住居、食事、衣類がタダ、(まあひどい環境ではあるのですが)という点を考えなければなりません。士官の場合は食材、衣類などが自前ですが、住居費はタダとなります。
  2. 量産という背景のない時代ですから今から見ると高価な手作業による衣類や器具などは、当時は普通の製品だったはずです。そういう意味では物価が安かったといえそうです。前述したように、逆にもし当時にペットボトルがあったら目の飛び出るほどの値段が付いたでしょう。
  3. 一番給与の安いのが水兵の中の「おか者」です。役立たずという意味が給料にも如実に現れていて、月に4~5千円という情けない状況です。他方、まるで身分の無いような少年水兵がおか者の4~5倍の給料ですから、これは働きから見て実質的です。ちゃんと評価(まあそれなりに)した結果でしょう。
  4. 15歳以下の士官候補生は表面的には月に2.3万ですが、指導教官への支払いを除くと実質的に月1万円です。
  5. 従軍牧師は他とくべてかなり高級です。悪い環境と、いつ戦死するかもしれないので、なり手がなかったのかもしれません。という背景がありながら、全体的には士官以上(提督の給与は分かりませんが)の特権階級がかなり優遇されていたといえるでしょう。

 例えば、ホーンブロアシリーズの第7巻「勇者の帰還」の中で、彼がロンドンの宮殿で摂政殿下に拝謁する場面が出てきます。

 「心からおめでとう、大佐(カーネル)」と殿下。ホーンブロアは困惑するが、

「殿下はね、」と公爵が註を付けて「きみを殿下の海兵隊大佐の1人として任命されたことを喜んでおられるのだ。」

つまり、ここでいう海兵隊大佐は1,200ポンドの年俸を受け、それに対する任務は何もありません。功績のあった艦長への褒章として与えられる官職で、彼が提督の地位に登るまで続くことになる、と説明されています。

 

 すでに6,000ポンドだとホーンブロアは計算するのですが、上の換算でいうと3,600万円の年俸で、もうすでに(3年で)1億8千万円になっていると計算したことになります。これは特例としても、士官(記述はないのですが将官はなおさら)と水兵の間の格差は想像以上のものがあります。

 

 つまりA級水兵でも月に約5万円、一般水兵では3万8千円ですから、これで妻子を養うのは大変だったでしょう。しかも、もし自分が戦死でもすれば、後の収入は亡くなるし、戦傷を負っても収入がなくなります。インフレの影響もあって、艦内の待遇を含めた水兵たちの不満が次第に鬱積して、1797年4月のいわゆる「スピッドヘッドの反乱」となります。給料の格差を見れば当時それは当然だったのでしょう。

 

 この反乱でハウ提督は水兵の要求を入れ、待遇の改善も行われました。ただその後の5月に起きたノア泊地で起きた反乱はかなり政治的な色合いを帯びたもので、直ちに鎮圧されて反乱の首謀者は泊地でヤーダムから吊るされたと記録されています。

 

 海洋小説のあとがきの中からこういった状況を推察することもできるのです。書物は宝の山だと誰かが言っていましたが、本当にそうですね。