第44回 世界の帆船模型展 1/6

番号   船 名 製作者 番号   船 名 製作者
No.1   ヴァーサ 梅川 真弥 No.6   蒼龍 竹本 喜道
No.2   ヘダ(戸田) 竹本 喜道 No.7   清輝 竹本 喜道
No.3   咸臨丸 田中 敏雄 No.8   天城 竹本 喜道
No.4   千代田(初代) 竹本 喜道 No.9   迅鯨 竹本 喜道
No.5   武蔵(初代) 竹本 喜道 No.10   大和(初代) 竹本 喜道
 
 

  No.1  ヴァーサ  (VASA)     【ポスター作品】

 

  製作者:梅川 真弥    船 籍:スウェーデン    建 造:1628年    縮 尺:1/75

  キット:コーレル

 

  ヴァーサは、当時スウェーデンが建造した軍艦のうち一番高価で華麗に装飾された艦であった。64門の大砲、50メートル余りあるマスト、数百を数える金色や様々な色が施された彫刻、軍艦の中でも最高の旗艦になる予定だった。

 1628年8月10日、処女航海に航海に出航したが、わずか1300メートルのところで嵐にあおられ沈没してしまった。沈没してから333年後の1961年9月に引き上げ作業が完了。現在、スウェーデンのヴァーサ博物館に保存されている。キットには帆は付いていないが、帆を付けてみた。 

 

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  No.2    ヘダ (戸 田)        【特別企画作品】 

 

   製作者:竹本 喜道    船 籍:日本・ロシア    建 造:安政2年(1855)    縮 尺:1/60

   キット:自 作

 

 ペリー艦隊と相前後して渡来してきたロシアのプチャーチンは、安政地震の大津波に遭ってデイアナ号を駿河湾に失った。プチャーチンは幕府に代船建造の協力を求め、幕府は西伊豆の戸田を提供してスクーナー型の小型船を建造した。この船は、洋式帆船建造のモデルとして手ごろなサイズであり、建造実技を会得するに偶然のチャンスであった。

 この船は君沢(クンタク)型と命名され、戸田、江戸で10隻レプリカ建造された。和船の400石(75トン)サイズで、操船しやすく、速度も速い。臼砲を据えれば小型軍艦としても使える。沿海輸送船としても適当なサイズなので、その後和船との合いの子船へ展開するなど民間船の洋船化モデルとして大きな影響を与えた。

 

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  No.3   咸 臨 丸       【特別企画作品】

 

    製作者:田中 敏雄    船 籍:日 本    建 造:1857年    縮 尺:1/50

    キット:イマイ

 

  咸臨丸は、木造船で約100馬力の蒸気機関を搭載した、スクリュー推進式の機帆併用船である。帆船型は、バーク・リゴ・コルベット型、排水量250トン、全長50メートル。備砲は12門(固定式8門、移動式4門)。徳川幕府が1854年(安政元年)オランダに発注し、1857年8月長崎にて日本側に引き渡された。

 この作品は第40回展に半完成で出展したが、完成させるのには基礎講習会教材として使用した部分が多く、部品仕上がりのバラつき、修正すべき箇所の多さ等で、現在まで手付かずのまま放置していたが、展覧会出展に向け今年6月に製作を再開した。

 

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  No.4  千 代 田(初代)   【特別企画作品】 

 

   製作者:竹本 喜道    船 籍:日 本    建 造:慶応2年(1866)    縮 尺:1/50

   キット:自 作

 

  江戸幕府が建造した日本で最初の洋式軍艦。明治元年、旧幕府海軍副総裁の榎本武揚が幕府残党を率いて函館に逃れた際、函館沖で新政府海軍と戦い座礁した。乗組員は、エンジンを焼き払い大砲を捨てて逃げたが、軽くなった艦はその後離礁し漂うところ、官軍に捕獲されて日本海軍籍になった。

 帆は幕府艦船が採用していた「大中黒の帆」で、徳川家の先祖である新田義貞の旗に因む。ペリー来航直後に大船建造禁止令を放棄したとき、日本船に掲げる日本国旗をこの旗にしようと幕府が提案したが、諸藩の猛反対にあって「日の丸」に決まったとのことである。とんでもない国旗になるところであった。

 

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  No.5  武 蔵(初代)    【特別企画作品】

 

   製作者:竹本 喜道   船 籍:日 本   建 造:1869年   縮 尺:1/100

   キット:自 作

 

  「武蔵」はアメリカから輸入された中古の機帆船である。南北戦争中の1864年に建造された。元の船名はKEWANEEで1867年(慶応3年6月)に売却され「武蔵」と改名されて日本へ回航された。注文者は幕府であり、受け取ったのは明治新政府になった。

 政府は明治天皇ご行幸の際の御召艦として改装していたが、明治2年(1869)2月、品川沖に繋留中、失火焼失し沈没してしまった。武蔵の存在は永らく謎に包まれていたが、2005年にようやく明らかになった。アメリカの資料には爆破されたと書かれている。江戸城無血開城の直後であり旧幕臣過激派のゲリラ行為が疑われるが、国内での真相解明は行われていない。 

 

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  No.6  蒼 龍       【特別企画作品】

 

   製作者:竹本 喜道    船 籍:日 本    建 造:明治5年(1872)    縮 尺:1/50

   キット:自 作

 

  蒼龍は、明治天皇御召艦として幕府から接収したばかりの横須賀造船所で、明治2年に起工され、明治5年に竣工した。蒼龍は内海用御召艦として東京湾内で運用されたが、時には相模湾に出て江の島まで巡航することもあった。兵器装備はなく豪華ヨットのごとくであったが、海軍が運用したので軍艦扱いになった。建造予算書、建造仕様書、エンジン仕様書など文書資料は残っているが、設計図面は残存しない。

 船廠史の挿絵に残るイラストを参考にして復元創作した。船体後半部は天皇玉座域なので天皇御乗船の際には前方との間に厳重な隔壁が設けられた。 参考資料:横須賀海軍船廠史 

 

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  No.7   清 輝      【特別企画作品】

 

   製作者:竹本 喜道    船 籍:日 本    建 造:明治9年(1876)    縮 尺:1/100

   キット:自 作

 

  明治日本帝国海軍が建造した最初の西洋式帆船軍艦。明治8年3月5日の進水式は天皇御臨席で行われた。明治11年に英国を訪問した。日本国産艦船のヨーロッパ遠征は史上初の快挙であった。

 設計は横須賀海軍船廠長レオンス・ヴェルニー。スクリュー推進式3檣バーク型木造機帆艦である。模型の設計図は、写真から創作復元した。帆装は、英国王立海事博物館所蔵の「清輝」の模型に従った。 参考資料:横須賀海軍船廠史 

 

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  No.8  天 城    【特別企画作品】

 

   製作者:竹本 喜道   船 籍:日 本   建 造:明治11年(1878)    縮 尺:1/100

   キット:自 作

 

  横須賀海軍工廠で建造された日本国産軍艦第2号のエンジン付き木造帆船軍艦。水平還動式2段膨張3気筒720HPエンジンを搭載し11ノットで機走した。 

 日清戦争に参戦し、旅順、大連、威海衛攻略作戦で活躍した。水平還動式エンジンは、低く設置できてメンテナンスしやすい特徴があった。ボイラーは2基搭載した。当時のボイラーは銅製で、ボイラー水に海水を使用した。船体中央部をエンジンとボイラーが占めるため貨物積載量は少なくなる。更にボイラー燃料の石炭の補給も配慮しなければならず、軍艦以外の輸送船に採用することはまだ少なかった。

 

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  No.9  迅 鯨     【特別企画作品】

 

   製作者:竹本 喜道    船 籍:日 本    建 造:明治14年(1881)    縮 尺:1/100

   キット:自 作

 

  明治天皇の御召艦として建造された。日本海軍唯一の外輪駆動式国産軍艦である。基本的に設計にミスがあり8年かけて建造したが、ほとんど活用されないまま海軍訓練船として使われた。設計者はレオンス・ヴェルニーだが失敗作であった。

 高速化しようとして船幅を狭めスマートにしたが強度不足となり、ローリングが激しく外輪船には無理があった。この設計ミスのため幕末以来横須賀海軍工廠長を務めたヴェルニーは辞表を出して退職、フランス人の部下とともに帰国した。既に日本人技術者も成長してきていたが、政府はイギリス人エンジニアをアドバイザーとして任命した。英国人はメートル法からヤードポンド法への切り替えを二度試みたが日本人技術者たちは猛反発して騒動になり、結局メートル法が継続された。以降メートル法が日本の規格になった重要な闘争であったと思う。

 

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  No.10  大 和(初代)   【特別企画作品】

 

  製作者:竹本 喜道    船 籍:日 本    建 造:明治20年(1887)    縮 尺:1/100

  キット:自 作

 

 初代大和は、明治海軍が建造した純国産の木造帆船軍艦である。葛城、2代武蔵、初代大和の3艦は同じ設計の兄弟艦で葛城型艦と呼ばれた。初代大和は神戸小野浜造船所で建造された。3艦は鉄骨木皮構造になっており、日本の木造帆船軍艦の最後の船になった。この後軍艦は鉄製になり帆装がなくなる。

 大和の初代艦長は東郷平八郎。東郷元帥はこの艦を生涯格別に愛した。日清戦争では旅順、大連、威海衛攻略作戦に参戦し活躍した。10年後の日露戦争では、第一線を退いて特務艦として測量任務に就き、日本近海の海図作成に努めた。日本海中央の浅瀬「大和堆」は、この艦が発見命名したものである。日本海軍創世期に建造された大和は、日本海軍の栄枯盛衰を見続けて働き、ついに終戦を迎えた。日本海軍滅亡後ただ1隻になり、昭和25年(1950)鶴見川河口で朽ち果てた。

 合 掌 

 

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