福田 正彦
2.出港準備 -状況把握と装備(続き)
2-6 備品の整備 ー 水と燃料
何といっても人が生きるに絶対必要なのが水だ。当時の軍艦での水の割当量は1人1日当たり1ガロン(注3)だった。1ガロンというのは4.55リットルだから、200人で3か月分とすると81,900㍑にもなる。当時の樽の容量は分からないが、現在のウイスキー樽の最大が「バット」といって500㍑入りだ。このような樽を使ったとすると樽の数は164個になる。真水は飲料だけではなく塩漬肉を煮たり、料理用、スピリッツの薄め用、洗濯の最終仕上げなど日常にどうしても必要な分もあるから、全体の必要量はもっと多かっただろう。
(注3: 一人1日4㍑半というのは多いように思われるが、これは飲用だけの量ではない。メスメイト(食卓仲間)で実際に料理もした
のでそのための水や、洗濯、洗面、歯磨きなど最小限必要な水もある。おまけに樽に入った水はすぐ悪くなるから飲むのも大変だ。)
水が不足したらどういう措置をとったかということが海洋小説に出てくる。それによると「3分の2ガロン(3㍑)で4週間過ごし、2分の1ガロン(2.3㍑)で1週間・・・」過ごしたというのだ。おそらくこれが限界だろう。長期航海で途中での補給の目途がたたなければ、必要量を用意する必要がある。途中の基地で補給できればいいが、あまり期待できない場合は生活に絶対に必要なのが水だから、質は悪くなろうとも量を確保しなければならない。
翌日、清水の補給は、水補給船(バージ)を横付けする作業から始まる。バージというのは港などで荷物の運搬に使われる平底船で、いわゆる艀(はしけ)だ。給水用のバージはかなり大型で、もうこの時代になると小さな帆を使って本艦に横付けできたが、それでもロープでしっかり接弦させる必要がある。補給はすべて樽で行われる。効率は悪いのだが当時のポンプは人力だし、そもそも効率のいいパイプがない。本艦付属のポンプは楡(にれ)の木を刳り貫いた木管を使って気圧を利用して海水を吸上げる固定方式だし、距離の長い大型艦のポンプも木管の中を連続した皮のベルトに取り付けた皮のバケツを使って汲み上げる方式だったた。これらのポンプがなぜ必要かというと甲板の清掃などに海水は必要だし、火災対策という一面もある。またビルジの排水も絶対必要だ。外洋に出ればきれいな海水は意のままに汲める。もちろんそのために船底には穴が開いている。右の図は大型艦の海水を汲み上げるポンプ(右側)と、ビルジの汚水を汲み上げて砲列甲板の排水溝に流すポンプ(左側)です。
(注4: 図はクリックすると拡大してご覧になれます。)
というわけで結局水の補給は樽が最も一般的だった、外洋航海の場合、無人島などに立ち寄って川の水を汲んで補給するという場面も海洋小説によく出てくる。水の樽はかなり大型だから、分解したものを陸地まで運び、樽を組み立てたのかもしれない。水を満たした大型の樽を、水源地から海岸まで持ってくるのは転がすことでまあ容易といっていい。しかし、カッターやロングボートのような大型艇に積み込む作業はかなり大変で、三角棒の簡単な起重機を組み立てたのだろう。これを本艦まで運び、メインヤードに取り付けたハリヤードで吊り上げて,ホールドまで降ろすという危険な作業も待っている。
これらの作業に必要なロープの結索作業、いわゆる「玉掛け」が確実に行われないと大変なことになる。もちろん船の作業はどんな場合でも危険だが、補助装置のあまりないこういった作業は熟練した水兵とそれを監督する士官がしっかりしていないと常に危険が伴う。簡単に「無人島での水の補給」というが、未知の住民の襲撃という危険も考慮すると、やっぱり大変な作業なのだ。
余計な話なのだが、海という水に囲まれて清水の補給に翻弄されるというのは皮肉な話だ。しかし海水の塩分濃度は3.5%ほどもあって、人の血液の塩分濃度をはるかに超える。そのために海水を飲むと更に喉が渇き、ますます海水を飲みたくなって最後は死に至る。現在では逆浸透膜という装置を使い、海水を強い力でぎゅっと膜に押し込んで塩分を残して水だけを採ることができる。客船で真水のシャワーをふんだんに使えるのはこの装置があってこそ、だ。
これも余分な話だが、海に住む魚も同じで、体内から水分が海に出てゆく危険に常にさらされており、いわば「のどの乾いている状態」になろうとする。そのため魚の皮はそれを防いで体内の塩分濃度を低く保つようにできている。したがってもし遭難して水のないボートで日光に晒されたら、魚を捕って肉を生で食べればいくらかの水分補給ができるはずだ。一方サケのように川に遡上する性質のある魚は、川という真水に入ると体内の塩分が外に出ようとする。そこで汽水という川と海が混じりあって塩分が低い海域で回遊しながら皮の保護構造を変えなければならない。河口域でサケが採れるのはそんな理由がある。
もう一つ、あまり目立たないのだが煮炊き用の燃料も重要な備品だ。これがないと塩漬け肉を食用に戻すことはできない。メスメイトのコックも、艦長付コックも火がなければ仕事にならないのだ。
大きな嵐や戦闘時にはギャレーの火は落とされ冷たい食物だけ、つまりビスケットとチーズやグロッグだけといった食事が続くことになる。これは水兵にとって耐えられない状況だから薪や石炭はどうしても必要な物資で、これらもホールドに貯蔵されている(右図の白丸)。こういった燃料も、不足すれば無人島での補給の対象になったことだろう。
2-7 備品の整備 ー 帆とロープ
帆とロープはいわば常備品で、新しく就役した時に備えられるものだ。だから出港前に多く備える必要はないのだが、長い航海での損耗や戦闘時の損耗もある。軍艦にどれほどのものが必要かをちょっと見てみよう。スループ艦を除いて軍艦の大部分は3檣シップ型だから、大小取り混ぜて帆の数はおよそ17枚ほどだろう。平時の帆と荒天用の厚い帆と2組必要だから、最低でも34枚、さらに補修用の布が必要だ。戦闘時に喫水線の下に砲撃を受けて浸水した時などは、応急措置として船体を帆布で覆う、つまり船に腹掛けをする布も必要だ。おそらく普段からいくらか古くなった帆を縫い合わせて用意しておくのだろう。いざというときには暢気に帆を縫い合わせる時間はないだろうから。
帆は消耗品で、戦闘時帆はかなり弾丸によって穴を開けられてしまう。これらの補修を繰り返しながら使うことになるのだが、これを担うのが縫帆手(セイルメーカー)で、掌帆長(ボースン)の指揮下にある。帆の格納は右上の図のように帆布庫にそれぞれ木札を付けて、何の帆か分かるように収納されている。また、湿気を嫌うから好天時には帆を広げて点検と乾燥を兼ねた作業も行われただろう。
もちろん当時ミシンはないからすべて手縫いだ。ごわごわした帆布を扱うのだから、針もそれなりに太く、おそらく日本の畳職人のような手のひらを保護する用具もあったろうし、裁断用の鋏も大きかったと思われる。またダブルセイルはなかったから1枚当たりの面積も大きく、周囲のボルトロープに帆を縫い付けるときわずかにギャザーを取ったのではないかと思われる。日本ではこれを「イセを入れる」というのだが、そうすることで風を受けた時に球体状に帆が大きく膨らみ、推進力が増す。そんな職人技がたくさんあっただろうと思われる。
次にロープ類だが、ロープという名はいわば総称で各々の策具に「ロープ」という名はまずつかない。例えば「シート」、「クリューライン」、「ハリヤード」であり「ラットライン」だ。「フットロープ」だけがロープというがこれは例外に等しい。「オックスフォードの船と海に関する手引書(The Oxford Companion to Ships and the Sea)(以下OxCSSと略す)」によるとロープとは「海事の世界において、天然または人工の繊維あるいは金属線によって作られ、直径1インチ(2.54㎝)を超える索具につけられる名前。」となっている。直径2.5㎝というのはかなり太い。
帆を扱うロープで帆の下端を引っ張るシートやタックはかなり強度が必要だが、フリゲート艦クラスのメインセイルで直径3.6~4.4㎝ぐらい、1等級戦列艦だとこれが6㎝を超える。このロープは太い方で、トップマスト以上の場合、全般的にみると2.54㎝より細いものも多く使われている。したがって直径1インチという根拠はどうもあいまいだ。日本語で「大綱」、「綱」、「縄」、「紐」、「糸」というけれども大体こんなもんだろうと思うのとまあ似ている。
ロープは基本的に消耗品で、特にナイロンなど人口繊維のかかった時代は常に点検して強度を維持する必要があった。そのために動かす必要のないスタンディング・リギング(静索)はタールを表面に塗って腐敗を防いだ。ランニング・リギング(動索)のほうはタールを塗れないから常時の点検が必要で、使用に耐えなくなってもこれを小さく切り分けて「まいはだ」のように船体の隙間を塞ぐために使った。船では何も捨てないのだ。
英国南部にあるチャタムの海軍工廠跡の記念館にある解説(右図)だと、麻などの繊維(ファイバー)を撚り集めて紐状のヤーンを作る。必要な量のヤーンを3本撚り集めたのがストランドでわれわれのいう「ロープ」に近い。必要な太さのストランドを3本撚り集めたのが「ホーサー」だ。更にホーサーを3本撚り集めたのが「ケーブル」になる。
こういった名前は伝統的に作られたもので、基本的には太さを表す。前記のOxCSSによれば、ロープ(ストランド)は直径1インチ(2.54㎝)以上、ホーサーは直径5インチ(12.7㎝)以上、ケーブルは直径6.4インチ(16.2㎝)以上だったのが、その後その半分でもケーブルというようになったという。その意味でホーサーとケーブルの境界はあいまいだが、ストランド、ホーサー、ケーブルの順に太くなると思えばまあ間違いない。
常用のロープ類で一番太いのが艦首錨(バウワー・アンカー)を吊るすロープだ。この太さには計算方法があって「船の最大幅1フィート毎にロープの円周が0.5インチ」になる。つまり船の幅のフィート数の半分がアンカーケーブルの円周のインチ数に相当する。5等級フリゲート艦アーゴの船幅が38フィートだから、この船のアンカーケーブルの円周は19インチで、直径はほぼ15㎝ということになる。あなたの6等級フリゲート艦でもそれほどに違いはなく、おそらく直径12~13㎝だろう(この場合はホーサーといってもおかしくない太さだ)。これでは直接キャプスタンに巻くのは無理で、フリゲート艦といえども揚錨する場合はメッセンジャーロープが必要だったろう。
実際に錨を上げる場合は、アンカーケーブルに沿ったエンドレスのメッセンジャーロープをキャプスタンで巻きながら、何人かが細い綱で両方を巻締め(これをニッピングという)甲板下に落とすところで綱を解いてまた先端に戻るという作業を繰り返すことになる。
船としての問題はアンカーケーブルの収納だ。一般的にアンカーケーブルの長さは船長の5倍以上といわれている。「アーゴ」の船長はガンデッキで42.7mだから5倍とするとほぼ210mにもなる。6等級艦でも200mに近い長さを収容する必要があるが、投錨する際にはすごい勢いで引っ張られるから、スムーズに出られるようにきちんと輪がねしておかなければならない。
6等級フリゲート艦の船幅を10mほどと考えると少し横長の輪にしたとして一巻き20mほどでホールドに収容できただろう。直径12㎝程の太いロープを10段も積み重ねて収容しなければならない。右の図はその模式図だが錨索はこのようにオーロップデッキに入れたり、ホールドに入れたりしたらしい。この点はどうもはっきりしないのだが、ぼくの感覚ではホールドが多かったのではないかという気がする。
ただどこにも記述はないが、錨索は揚錨した時にかなり汚れている。戦艦ビスマルクの戦記に出ていたと思うのだが、錨を上げる際に水兵が錨鎖をポンプで海水を使って洗い流す場面があった。帆船時代でもやっぱり錨索は汚れていただろう。海水で洗い流したのではないかというのがぼくの想像だ。
めったに使われないが、最も太い策具が船舶の曳航用に使われるケーブルだ。これも常備品だったようでおそらく直径15㎝以上もあっただろう。海洋小説で座礁した船を曳き出すために水兵が肩に担いでこのケーブルをホールドから引っ張り出す場面があった。船を曳く場合、曳航用のケーブルは大部分が海中に入っている。曳く相手に急激な引張強度を与えないためだ。そのために曳航用のケーブルは、引っ張るための強度と共にそれ自体が重くなければならず太いケーブルが必要だった。ホールドにはこういった太くて長い策具類が多く収納されている。
ついでにいうと、軍艦には予備の錨が必要だった。作戦上錨を上げる暇なく錨索を切断して出港する必要がある場合などだ。予備錨(シートアンカー)はかなり重く、戦列艦で1.5~2トン、フリゲート艦でも0.5~1トンもある。これは扱いにくい形でもあるから、通常は艦の中央部のホールドに立てた状態で収納する。こうすることでバラストにもあまり影響を与えない。
右の写真は小松政幸さんの74門艦の模型から拝借したものだが、小松さんはブードリオの図面から詳細を再現しているので位置関係は間違いないだろう。
帆や策具は掌帆長(ボースン)の管轄下にあって補給や日常の手入れを行うのだが、その結果は常に航海長の責任範囲でもある。航海長は積載物全般に責任があり、過積載になって艦の航海に支障をきたすことがないようにするのも責任範囲だからだ。
2-8 火薬の補給
あなたの着任3日目の朝、早々と火薬運搬船が本艦に横付けになった。いつもより早めに済ませた朝食後、すぐギャレーの火は落とされ、艦内全般に火気のないことは確認してある。もちろん火薬庫は真っ暗というわけにはいかないから、ガラス板の向かうにある小さなランタンの光だけが頼りだ。ほかの多くの物資と同様に、火薬も樽に入っている。
火薬庫はホールドの最下層に設けられていて、一番多く使われる大砲用の装薬は、中央の処理室で一定量を樽から布の袋に入れて装薬筒に格納する。それを上の装薬筒室に送って戦闘時にはここからパウダーモンキーに手渡すことになる。
この時代の火薬はすべて黒色火薬で、硝石(硝酸カリウム)、木炭、硫黄の3種類からできている。強力だが発火すると大量の煙が出る。発火用の火薬も黒色火薬だが、粒度が細かく点火栓に容易に入るようになっている。また導火線も重要な装備で、当時の導火線はかなり正確に燃えたようだ。早く燃えるもの、ゆっくり燃えるものなど、一定の長さで何分かかって燃えるかは正確に分かっていたらしい。これも重要な戦闘用の装備品の1つだった。
大砲に使う弾丸は無数といっていいほど保存されていた。当時の弾丸は1つの例外を除いてすべて火薬を内蔵していないから、弾丸自体が破裂する危険はない。右の写真は小松政幸さんの74門艦の模型から拝借したものだが、数が多いだけにかなり重く、こんな形式で保存されていたのだろう。このほか人員殺傷用の専門的な弾丸で散弾というのがある。これは小さな鉄の球がたくさん入っている円筒弾で、発射すると無数の小さな球が相手の兵隊をなぎ倒した。また相手のロープを切断してマストを倒そうとする弾丸がチェーン・ショットで、これは発射するとチェーンで繋いだ2つの半球が外れて飛び、敵艦のロープを切断しようというものだ。こういった弾丸は別に格納されていたのだろう。
この時代で唯一火薬を使ったのが臼砲の弾丸だった。臼砲というのはした右の写真のように大口径で砲身が極端に短い大砲で、高角度で弾丸を発射する。例えば砂洲などを挟んで近距離の敵艦を砲撃する場合などで使われる。弾丸には火薬が入っていて、ドンと打ち上げてから落下して敵艦に達するまでの時間を想定し、その時間に相当するように導火線を切って火を付けてから発砲したのだ。非常に似危険な弾丸だから、「ボムケッチ」という専用のスループ艦だけがこれを使用していた。
こういった大砲や弾丸を管理したのが掌砲長(ガンナー)で、戦闘時には装薬筒をパウダーモンキーに渡す責任者でもあった。また弾丸は発火しないから戦闘時は各大砲の近くの弾丸架に並べておいただろう。弾丸は戦死した乗組員を海中に埋葬する場合、帆布に包むと同時に死体が流れないように一緒に包んで重りとした。ロープなどと同様、大砲類の管理も航海長の責任範囲でもあった。
あなたは艦長としてこれらの作業にも注意を払い、航海長からも報告を受け、各々の受け渡し書類に署名し、整備の終わった火薬庫の鍵を掌砲長から受け取って鍵のかかる引き出しに収納する。火薬庫は非常に危険だから、常時海兵隊員が立哨するが、掌砲長といえども必要な時や戦闘時でなければ艦長たるあなたの許可なしに中に入ることはできない。
午前中に3等海尉を長とした強制徴募隊が帰還したが、その報告によると10人ほどしか徴募できなかったといいう。人数は物足りないが時間もないことだしこれで満足するしかない。徴募した「おか者」はホールドに閉じ込められているが、その処置は副長の任務だ。そのうちに立派な水兵に仕上げてくれるだろう。
装備品は整ったが、最後にどうしてもやらなければならない仕事がある。あなたはギグを用意させ航海長と掌帆長を乗せて本艦の周りをまわってそのバラストを確認する。おそらく事前に掌帆長が見ているとは思うが、あなたの新任艦である本艦の癖を知っているのは航海長だ。例えば本艦が前のめりになる癖があるのなら、少し後ろ重心の方がいいかもしれない。幸い大砲を動かすほどの修正の必要はなく、いくらかの修正を航海長に命じるだけで済んだ。
2-9 戦闘配置と海図
戦闘配置とは敵艦に遭遇して砲戦を行う場合、本艦の乗組員全員がどこに配置されるかという計画だ。そればかりでなく、もし誰かが負傷したり戦死したりした場合、その後をだれが引継ぐのかも決めてある。それが指揮系統というもので極端な場合、本艦の士官全員が戦死したとすれば、本艦は一番古手の(つまり任官時期の早い)士官候補生に本艦を委ねることになるのだ。
本艦は就役艦だから前から戦闘配置は決まっているが、人員の入れ替えもあり強制徴募などの新人の増加もあるので、改めて戦闘配置を計画する必要がある。これはほんらい副長の仕事で、あなたはそれを承認すればいいのだが、なぜその配置がいいのかの理由を副長から聞いておく必要もある。
またあなたは提督から今回の任務がカリブ海方面であることを知らされている。詳細は命令書によるのだが、任地や途中の海図を用意しないと航海に支障がでる。あなたは就任時に航海長を艦長室に呼んでカリブ海周辺の海図を用意しておくように命令してある。ベテランの航海長は海軍本部での海図の入手のほか、航海長仲間での伝手で必要な海図を筆写したことだろう。また主計長にも熱帯に必要な乗組員の衣服を用意するように予め命じてある。
こうして出港準備は整い、提督には出港に必要な風の状態になり次第出港する旨を報告する。提督からは明朝に追加の命令書が届くことが告げられた。(なお、本文の中で艦内の案内図は「輪切り大図鑑:大帆船(岩波書店)」によった)。
参考:オーロップとホールド
「オーロップ」というのは正式には「オーロップデッキ」で、最下層甲板をいう。つまり戦列艦であろうとフリゲート艦であろうと、最下層の砲列甲板の下にある甲板をいうのだが、喫水線の上下すれすれのところにあるといっていい。多くのフリゲート艦は砲列甲板が1層で、ある程度の乾舷があるからこの甲板は多くの部分がほぼ喫水線ぐらいだろうし、3層砲列艦のような重い戦列艦は深く喫水が入っているからオーロップデッキの半分ぐらいは喫水線下だろう。
このデッキには下級士官(士官候補生)や准士官たちの居住区になっていて、士官候補生用のガンルーム、あるいはコックピットという部屋があり、航海長、掌砲長、掌帆長らの個室もあるし、それぞれの役割に必要な用具や材料などの保管庫もある。この甲板には当然窓はなく、風通しも悪いが、戦闘準備でも居住区はそのまま動かさなくてもいいという特権もあった。
一方、ホールド(船倉)はオーロップデッキの下にあってデッキ(甲板)ではない。軍艦は武装するという性格上トップヘビーになりがちで、船底には石や鉄のバラストが必要だ。おまけにこれまで述べてきた沢山の装備品の倉庫でもある。特に火薬庫はこのホールドでも一番下にあって損害を被らないようになっていた。当然すべて喫水線下にあり、昇降階段以外に風通しもなく陽の光も入らない。船尾近くには戦闘準備で士官室の隔壁や備品を格納する場所もあり、また日常の上級士官用の食料や衣類、酒類などの保管庫もあった。これまで述べた諸々の蘇備品の多くはこのホールドに収納されているから、当然のことながらホールドは本艦の中でも一番大きな空間になっている。
こういった場所なので、ホールドは「おか者」を強制徴募してきた場合に真っ先に入れられるところで、数日間わけも分からずに監禁されたのだ。また海洋小説でも出てくるが、反乱を企てる水兵たちの密かな集会所にも利用されたという。昼間でもほとんど真っ暗に近いホールドはそんな秘密を提供するのに最適な場所だったに違いない。