帆船模型とは

 

色んな模型に興味を持ち、また作ってきた中で模型と言うのはどんな意味なんだろうかと改めて考えると頭の中がぐるぐると回り始めます。そこで一旦整理して考えてみようか、辞書を引いてみました。ところがもっと頭の中が回りだしたのです。

模 型

 

ひな型・模範・実物のひな型・標本・縮図と言葉が並びますがも一つぴんとこない。モデルと言うのがあるがどうやらこれは模型の英語バージョンらしい。そこでモデルから辞書を引くと模型と出てくるがこれは何となく分かる気がする。

だけどファッションモデル・手本・モデルチエンジ・モデルケースが出てきてまた分からなくなってしまいました。

これらを文章の形にすると「そのものの全体的な形が同じになるように、かたどったもの。モデル。(ア) 実物になぞらえ(大きさを縮めまたは拡大し)て造ったもの。「飛行機の―」「遺伝子―」(イ) 理論探求の必要から、対象とする現実を抽象化し、問題の骨組みがよく分かるように設定したもの。「大脳の数学的―」(ウ) 論理学・数学で、抽象的理論体系の実例となるもの。「これが群論の一―となる」(岩波)」とこんな調子です。

それなら実物と同じ大きさなら模型とは云わないのでしょうか。

プロトタイプと言う言葉があります。訳は原型・標準・規範となっています。こちらは本物と云うことなのでしょうか。

これに対しレプリカと言うのがありこちらは模写・写し・複製となっているがこれを日本語?に訳すとコピーということでしょうか。こちらは模型ではないのだろうか。

どっちにしても模型というのは本物がなかったら成り立たない、本物があっての模型ということだと思います。だから少なくとも本物に似ていなくてはならない訳です。

この似ているということが後で述べますが大事な要素になりそうなんです。

帆船模型

 

まさしく本物の帆船をかたどった模型ということでしょう。模型と言えば大きくしても模型と云うらしいが、まさかあの帆船を実物より大きく作るようなモデラーはいないでしょう。普通私たちが作っている模型なら縮尺は1/10位から1/1000位の範囲ではないのでしょうか。どうもこの範囲から飛び出す模型は殆ど見られないような気がします。

鉄道模型の世界では縮尺以外にゲージと云うのがあって、これが縮尺と一致しないで議論を呼んでいる。その点帆船模型では縮尺だけで語れるのでそれだけ単純と思われます。

それから多くの模型では動く模型と動かない模型があります。

乗り物模型は殆ど動くものが多い。中にはソリッドモデルと称して形だけのもの動かないものがありますが、世間一般では模型と言えば動くとものと想像するでしょう。特にエレクトロニクスが発達しラジコンの時代になり、そのラジコンも最近では無線のアナログ操作だけでなく、ワンチップマイコン(コンピュータの一種)を積み込んだデジタル制御もあって、ますますインテリジエント化した頭脳的高度なものも多数出現しています。

 

ところが帆船模型では動くものは殆どないと言って良いでしょう。同じ船でもスポーティーなヨットとかモーターボート、軍艦とか、客船、商船などは動く模型も多いのですが、こと帆船模型に限れば、動く船は私は見たことがありません。

想像してみて下さい。あの船と船台を固定した状況で水に浮かべたらどうなるのでしょうか。帆船模型は主に木工ボンドで組み立てたものが多いのです。だからまずバランスを失ってすぐ倒れてしまうでしょう。そしてやがては木工ボンドが解けだして船はバラバラになってしまうでしょう。

帆船は動く船ですが帆船模型は機能として動くことを考えていないのです。まさに形だけを模したものなのです。これは飛行機のソリッドモデルと似ています。

ですから沢山のロープを張ったものもありますが、このロープが本物はたわんだり、引っ張ったり巻き込んだりするのですが、模型の場合は固定します。この辺が模してはいるが機能は形だけをみせているというのが帆船模型なのです。

 

私が所属している横浜帆船模型同好会でお一人、嘗て模型の帆船をお風呂の中で浮かべた人がいました。この場合、接着剤はエポキシ系を使い、水分で分解しないように組み立て、バランサーをいれ重心を調整して見事にお風呂に浮かんだことがあります。だけど知っている限り後にも先にも水に浮かんだ帆船模型はこれ一隻でした。しかし風を受けて帆をはらまし、走るような姿は遂に見ることはできなかったのです。

ここで帆船模型とは形はなぞるが動かない船という定義が成り立つように思います。

イメージモデルとスケールモデル

 

あまり強調しても意味のない分け方だと私は思うのですが、帆船模型の仲間内ではかなりこだわる人もいます。はっきりしたものはないのですがイメージモデルと言えば、あまり本物の形を忠実にかたどったものではなくそれらしい形をしている模型と位置付づけるべきでしょうか。

キットだとか写真などからヒントを得て作り上げた模型が相当すると思っています。

一方スケールモデルというのは本物の船の正確な図面が残っていてそれを正確に縮小し、妥協を許さないでと言うことは誤魔化しのない、そしてそれを本物と同じ倍率で作れば本物ができるような模型と解釈すればよいのでしょうか。

この辺的確な定義というのがないので困るところですが、本物をすっかり縮尺化する事は不可能なんです。

また製作方法に到っては木工ボンドを使ったのではスケール化はたちまち否定されます。

一番わかりやすい例は材木ですが、誰も縮尺通りの材料を使っている人はいないのです。要するに本物の木(縮尺率1/1)を使っているのです。縮尺通りの木ということになれば日本の盆栽を手本にしていただいて1/48の樫の木だとか、1/72のクルミの木を育てるべきでしょう。

このようにどうしても縮尺した模型を作るということになれば本物とは矛盾が生じたり、変形を強いられることになります。それよりは模型の性格として、うんーと見る人を唸らせるようなものを作った方が面白いのではないでしょうか。

私たちが作っている模型はあくまでも遊びであり、趣味の世界から離れたものではないのです。だから作者が納得し、スケールを追う人は徹底的にスケール化する。イメージを大事にする人はイメージ技法をどんどん開発する。

まして初心者の場合キットから入門するのが普通でこれを模型とは云わないなんて云うことになれば何が模型なんだろうともっと頭が痛くなってしまうのです。

ドックヤードモデルとコンストラクチャーモデル

 

私が帆船模型に入門した当時、展覧会で船の骨組みがあらわになった模型を見ました。

外板を貼る前の模型です。いや外板を貼らない模型です。あまり格好の良い模型だったのでこれはなんという模型ですかと質問しました。答えはドックヤードモデルということでした。その後10隻ばかりキットで作り上げ、この辺でそろそろキットから離れてもう少し精密な模型を作ってみようかと私の好みが強く頭をもたげてきました時分です。あの骨ばかりの船を思い出し、是非あんな模型を作ってみたいなと言うことで資料を調べだしたのですが、ドックヤードモデルという船がなかなか見つかりません。それで辞書を引いてみました。出てきたのは「造船所の模型」でした。こらなら話は分かる。確かに造船所を画いた絵を見ると骨ばかりの船が描いてある。しかしこれでは船が造れません。

そこで骨ばかりの船はなんと云ってるのかなと調べた結果コンストラクチャーモデル(構造模型)と言う字が目に入りました。昔グライダーの構造模型を作ったことがありました縮尺を1/10で作ったので本物を彷彿とさせる模型でした。そのうちフランスの74門艦(ブードリオ著)の全4巻という膨大な本を入手し船の本当の機能を追求したかった私にとってはまたとない素晴らしい資料を手にしたわけです。勿論作りました。詳しくはそのページを訪れて下さい。

その後帆船模型仲間のベテランの方からある雑誌の切り抜きを頂きました。そこには詳しくドックヤードの定義らしいものが述べられていました。ただ帆船模型で世界的に通用する国際規格なんてないのでどこまで通用するものかわ分かりませんが、そこにはドックヤードモデルとは、昔図面も描かないで本物の帆船を作っていたとき、造船業者が王様に船を売り込むため精密なスケールモデルを作り、それをカタログ代わりに説明し受注資料にしたと言う意味が述べられていました。そうなんです。先ほども私たちが作っている船は趣味で遊びの世界だと云いましたが、この人達の模型はそんな生やさしいものではないのです。まずその形で浮かばなくてはなりません。闘えない構造では役に立たないのです。ただ美しいばかりだけではありません。そこには生活がかかり、生命までもかかっているのです。

外国の海洋博物館に行くとそれらのプロが作った模型を多く展示していますが、ここにはプランクモデルとかコンストラクチャーモデルと言った分け方はなく、精密な船がドックヤードモデルということになります。多分骨だけの船をドックヤードモデルと言っていたのは日本だけで野球の夜間試合をナイターと云っていた日本語に似たものではないかと今でも思っています。

ドックヤードモデル
ドックヤードモデル
プランクオンモデル
プランクオンモデル

洋上模型

 

プラモデルの艦船模型には洋上模型というのがあります。水面から上の部分だけを作り船底は扁平になっています。主に海に浮かべシーナリーをつけてリアルに表現したものですが、帆船模型の場合はこの種の作品は少ないのですが「イマイ」から1/350シリーズとして10数種出ていますこれなんかは机の上にでも置いて眺めるのには最適でしょう。

帆船模型ではジオラマを作っても喫水線に相当する穴をカットしてはめ込む方式のものが殆どです。

ジオラマにすると感じとしては動的なものをリアルに感ずることができるのですが、帆船模型の場合は殆ど置物同様に作った模型が多いので帆の張り方にしても順風満帆型が多いのです。本当に帆船を動かしているときあまり真後ろから風を受けるチャンスはむしろ少ないといえるでしょう。だから大概の場合横風を受けることが多いので船は傾いています。そして帆の向きも横帆といえども直角の時は少ないのです。

だから帆をリアルに張ろうとするとどうしても傾けたいのですが、そうなるとロープワークが非常に難しくなって来ます。この辺を詳しく解説した資料は沢山あるのですがなかなか解読が難しいので、リアルに帆を張った模型を見かけることが少ないのです。

洋上模型
洋上模型

カットモデル

 

船の一部を作り主に内部の構造を見せる目的で造った船です。これにも色んな形があります。

岩波書店から輪切り図鑑で大帆船という本が出ています。帆船をまるで魚の輪切りにしたような形で内部を詳しく描いたものです。これと前後してパソコンソフトの大帆船がDDP社から販売されました。原図は何れもイギリスのスティーヴン・ビースティーが描いたものです。詳細に帆船の内部が描かれており、特にソフトの方は動画も交え解説しているので大変帆船の構造とか当時の生活、戦いの様子がよく分かります。これと同じような構造をしたカットモデルもよく見ることがあります。キットでも販売されているしストラクチャーのものもあります。

 

それから船を縦にカットし船首から船尾の様子を詳しく表した模型もあります。船を水線と平行にカットし上下に分けて船内を示した模型もあります。一部をカットして引き出し状にしたもの、これらはすべて船内の様子を見せるための工夫が作者の知恵で込められています。

カットモデル
カットモデル

工程模型

 

外国の博物館でよく見かけます。船を造る様子を工程順に作っているのです。これなんかは特に模型の初心者には大いに役立つのではないでしょうか。残念なことに日本で見かけることが殆どないことです。それだけ帆船そのものの普及がなされていない由縁だと思われます。

そんなことで私が属している横浜帆船模型同好会の定期展覧会では未完成製作中の作品出品を積極的に推奨しています。5年10年とかかるような大作の場合、毎年変貌する作品を見られることは、楽しみの一つでもあります。これなんかは作者自身も記録を残さない限りその姿を失ってしまい記憶にも残らない存在になってしまいます。

工程模型
工程模型

完成模型と半製模型

 

帆船模型で完成した模型というとどんな模型でしょうか。勿論船体は完全にできあがっている。飾りも全部付き、艤装もできているというあたりまでは大体一致した意見でしょう。マストが付き帆もすべての帆が張ってある。勿論ロープも動索、静索すべて張ってある。船台に船がのっている。これらも容易に完成品と言い切ることができるでしょう。

人によっては帆を張ってない船は帆船ではないと極論する人もいます。

そうでしょうか?

例えば帆を巻き込んだ姿はどうでしょうか、また帆は外れているがロープはすべて整っている。こんな姿も本物の帆船でよく見かけます。横浜に永久係留している旧日本丸、大体帆を巻き込んだ姿を見ることが多いのです。これは帆船ではないのでしょうか。

参考書にも帆を張った姿をセールリグ、それからハーバーリグという用語もあります。これは停泊時の帆とロープの張り方を示したものですが、どちらも本物の船の姿で、これを模型にしたとしても何れも完成といえるのではないでしょうか。

問題はマストが付いてない船体だけのものです。外国の海洋博物館を訪れると、こんな船体だけの模型を多く見られます。しかもマストをつけることを考えてないのかガラスケースもとてもマストを立てられるような高さには作られていません。

また帆船模型の作品集など本に載っているのも船体だけのが沢山あるし、図面も船体だけしか描かれていないものもあります。これらは船体だけ完成というのでしょうか、それとも半製、または文句なしに完成と呼んで良いのでしょうか。

もっと突っ込んで構造模型は半製なのか、それとも構造を見せるという目的を果たした完成品なんだろうか。これ以上工作を加えないと本人が決めれば、その段階ですべて完成品ということになるのか。もっと深刻に考えると模型の立場から、船台が付いてない、またはショーケースに入ってないのは未完成で、入ったものだけが完成品なのか。

どうでも良さそうなことですが、どこかの展覧会に作品を出品するとき、「完成品に限る」と制限を付けられたときに頭を痛める問題になります。

模型芸術論

 

華やかな帆船模型を見て、これは工芸品だとか芸術作品だという人もいます。帆船模型は芸術品でしょうか。私はちょっと帆船模型芸術論には首を傾げます。

何となれば、芸術なら岡本画伯の主張のように帆船模型も爆発させなければいけません。もちろん帆船は殆どが大砲を持ち火薬もいっぱい積み込んでいます。しかしこれは敵を爆発させるもので、自分が爆発する目的で搭載しているものではありません。それから芸術というのならそこには厳しい創造性を追求しなければなりません。同じ船を造ったんでは芸術にはならないんです。だからといって少しでもシンメトリーを崩した模型作品を見ればモデラーたちは何というでしょうか。これは変だとか、なんだへたくそな作品とけなすでしょう。そうなんです模型界からはピカソとかマチスの存在は認められないのです。ましてダリのような幻想的な船が生まれることは誰も期待していないのです。創造性たくましい作品では模型にならないということです。

たしかに模型には美しさを感じます。だけどあくまでも本物を模したものなのです。模型は模型として、芸術の中に引っ張り込まないで模型としてそっとさせておきたいと願っています。

こんな模型は見たことがない
こんな模型は見たことがない