とりあえず自分を紹介しておきましょう

 

1928年生まれで、すでにいつの間にか70才を超えてしまった生来からの模型少年が模型老人に変貌し、未だにモデラーから離れられないまま今日に至りました。

 

かつての仕事の専門は電気の技術者で細かく云うと電気計測器の開発研究が主でした。船とは直接関係はありませんが、船の発電施設に付属した計測器もかなり作っていた会社に勤務していました。乗り物では船舶用計器、電車の速度計、なども設計したことがあります。子供の頃から乗り物大好きで、未だに離れることができません。

 


だから小さいときから模型作りを始め、古い話ですが戦争中も少ない材料を使い飛行機の模型などを作っていました。

 

私の模型歴は後で詳しくお話ししますが、今日に至るまで模型作りから離れたのはわずかな時期だけで傍には何時も模型が存在していました。

 

30歳を過ぎた頃、当時大阪に住んでいましたが、横浜の事業所に転勤を命じられ、大好きな横浜に永住することになったのです。少年の頃から空と海に対するあこがれは変わらず、横浜への転勤も好機到ると大喜びでした。

転居後よく港へ出かけました。特にクインエリザベスなど有名船が入港すると必ず見学に参加し、大桟橋で何千人の行列の後に並んだこともありました。

 

また横須賀で米軍が何かの記念日で港内を自由見学で開放したときなども子供を連れ、航空母艦なども詳しく見ることができました。

船を見る乗る

 

帆船とは限りません。子供の時近くの操車場で貨物列車の編成替えを何日も何日も、顔を真っ黒に染めながら飽きずに眺めていたことがあります。船はどうしても海とか港になるので子供時代にはそんなに機会に恵まれません。だから船に接するのは青年になってからということです。夢は豪華客船でクルージングを楽しむことなんですが残念ながらそんなに恵まれた環境にはありません。

神戸港

 

大阪で生まれ育ち船に乗ると云えば昔の天保桟橋から関西汽船で淡路島、四国、九州旅行というのがやっとでした。会社勤務中はカーフェリーで四国、九州をよく出張旅行しましたがこれは凡そ船旅とはいえるほどのものではありません。それでも船の魅力には勝てず新幹線を使えば手軽で早いのをわざわざカーフェリーに乗船ということもありました。

 

  帰りは事情が許す限り神戸で下船し、外航船を眺めるのが楽しみでした。

 

  今まで私が接した船を思い出すとそんなに多くはありませんが次のようなものがあります。

 

  氷川丸・日本丸・海王丸・シナーラ乗船・OSAKA WORLD SAIL '83・オリアナ号(博多港)・クインエリザベス・プリンス・ウイレム・横須賀で航空母艦・宗谷丸・飛鳥・北欧フィヨルドの観光船及び一晩の豪華客船クルージング・咸臨丸乗船・関西汽船の各船舶・戦艦三笠・商船にっぽん丸・護衛官むらくも・シンフォニー・名門大洋フェリー・ふじ丸・クリスタルハーモニー・高嶋さんのクルーザー・妻の親父の手漕ぎ和船・その他国内各地の観光船・カッター訓練・公園のボート・パリセーヌ川の観光船・ハワイの帆船・東京湾フェリーと観光船・コペンハーゲンの港で本物?のリラダン・etc

帆 船

 

それまで本物の帆船などは見たことがなかったのです。ただ沢山の帆を張って大海原を航海している帆船の写真とか画はよく目に入りました。横浜に来て最初に船を見たのは大桟橋と山下公園の氷川丸でした。感激しました。そして氷川丸に乗船見学したところ、船室内にプラモデルの帆船模型が数隻飾ってあったのです。今から考えるといい加減な作りなのですが、そのときはこんな素晴らしい模型なら是非作ってみたいと、眠っていた模型作りの意欲が突然目を覚ましたのです。それからはプラモデルキットを探し回りました。

 

デパートでやっと見つけ、しゃにむに5隻ほど作ってしまいました。これが帆船模型に接した初めなんです。

 

このときはまだ本物の帆船はまったく知らなかったのです。