福田 正彦

第2日 2013年8月4日 : エーア島、エロスコービン(ÆRØSKØBING)

デンマーク


 

 バルト海の航海といってもいったいどこへ行くのか、渡された書類ではさっぱりわからない。幸い霞さんが調査して、えらい離れ小島に行くんだぜと資料をくれたが、場所そのものはグーグル・マップに頼るしかないのだ。そこでいったいどう航海したのかその推定航路図を作ってみた。それが上の図である。本船が寄港した順に①から⑨までを記入してある。①が8月3日、⑨が8月11日だ。こうやって見ると随分広いようだが、バルト海は広い。そのバルト海のどのあたりを航海したかは右の図を見て頂きたい。デンマーク、 スエーデン、フィンランド、ロシア、バルト三国、ポーランド、ドイツと9カ国に囲まれたこの海はフィンランド湾を一緒に考えれば地中海よりは小さいけれども、かなり大きな海なのだ。 われわれはそのほんの一部を航海したに過ぎない。赤線で囲った範囲がほぼ上の航路図で、8つの寄港地を赤点で示してある。

 

 朝7時前に甲板に出てみると風があって冷たい。長袖と少し厚めのジャケットに着替える。トロピカルバーは天幕で覆われていて、直接雨にぬれることはないが、今日はいい天気なので少しうっとうしい。 8時半には朝食。バッフェ形式だが船尾側にコックさんがいて卵を料理してくれる。早速ぼくの大好きなプレーンのオムレツを注文する。チーズとパン、見てくれよりずっとおいしいママレードもたっぷり取ってどうも太るなあと言い訳をしつつ食べる。まあ美味しいものは美味しい。

 

 やがてエーア島周辺の島々が見えて、デンマークのだろう警備艇がわれわれを追い抜いて行く。朝からご苦労なことだ。そして10時には船長によるクルーの紹介。右の写真の船長の左後ろにいるのが"宴会部長"で正式には多分セカンドパーサーだろう。金筋が3本だ。下の左の写真は右から一等航海士、機関長、事務長。航海科士官は肩章に金筋の丸が付く。機関科は金線の間に紫線が入り、事務士官(主計科)は白が入るのが普通だがこれは確認できていない。その右の写真の右から売店の主、看護師さん、マッサージ師、半分見えるのが音楽担当のジョゼフで、この人はいつもピアノやキーボードを弾いて大変だった。

 


 

その頃本船はジブとステイスルを展帆して少しヒールしながら悠々とエーア島に近づきつつあったが、各ステイスルには頑丈なブームがあって、なんというんだろう、両側に帆のばたつきを抑え、畳帆した時に帆がはみ出しにくいように抑えるロープを備えている。海はまことに静かでデッキで朝日を浴びてのんびり過ごす。こういうところが船旅の醍醐味というものでゴンゴンと、まあ大げさに言えばだが、ディーゼルエンジン全開の客船クルーズと全く違う。しかしこの写真を見るといかにぼくの脚が短いか歴然たるものがあって、ちと恥ずかしいがまあ旅の恥はかき捨てでこんな快適なことも出来るのだとご紹介する。


 

 エーア島がどこにあるのかは冒頭の地図で分かるが、バルト海の西端、三角定規の長いやつを上に向けたような形をしている。その長辺の中ごろにエロスコービンがある。綴りはÆRØSKØBING だが、なんと読むか、ぼくのいい加減な読みだから保証の限りではない。おかしければ関口さんから修正が入るだろう。そういった点でこの人は決して容赦しない。

 

 やがて左の地図のように、本船は沖合に錨を降ろし、テンダーボートで上陸する。テンダーボートはもちろん救命艇を兼ねているから目立つように赤に塗ってあり、いざとなれば30~40人は優に乗れるが乗り心地の悪いこと天下一品だ。テンダーとしてなら短い からいいが、これで荒天を彷徨うかと思うとぞっとする。本船には絶対沈んでほしくないと思わせるために乗り心地を悪くしているのかと勘繰りたくもなる。右の写真の中央クルーの右が堀岡さん、左が村石さん。


 

 エロスコービンはいかにもデンマークの島の町という感じだ。昔ながらの町並みがある一方、観光地としても名が売れているようで、小さなホテルもある。この島で使える材料を使った石積みが基本なんだろうが、昔からちっとも変わらない外観を備えていて、危なっかしくて大丈夫かいなと思う家さえある。

 

 その内いろいろ聞いてボトルシップの展示をしているという家に入った。あるじが出てきて料金をクローネでなくてユーロでもいいという。5.05ユーロ、約660円だ。まあ妥当なことろか。かみさんが集めている指ぬきを買った。8ユーロだというが生憎6ユーロしかない。それでもいいというからその辺はかなりいい加減だ。ボトルシップを作る工程が展示してあったり、昔のあるじだろうご自慢の作品を持つ写真もある。この作品も展示されているが、この辺りの作品は情景描写を伴ったものが多い。別館も見て行ってくれというから入ってみると昔の医療施設の展示があった。かなりリアルなもので、木製だが、浣腸の様子や膀胱洗浄の様子まである。どういうつもりの展示か、そのあたりは分からない。

 

 

 

 町の売店でかわいい絵ハガキを見つけた。船からも望見された小さな家を描いたもので、かみさんが大いに気に入ってそれを3枚額に納めた。エーア島の思い出にわが家の玄関を飾っている。


 

 午後5時50分に出港、ちょっと早いがエーア島からコペンハーゲンまでは今回の航海で一番距離がある。すぐに2枚のジブとステイスル、それとフォアマストの横帆すべてが展帆される。ステイスルといっても本船のものはかなり大きくて風が強いものだから揚がる途中でもその力を感じることができる。行き先旗であるデンマークの国旗をクルーが揚げるのが見ていて楽しい。そろそろ午後7時になろうという時刻だが、陽がまだ十分に高いのは高緯度だからだ。この辺りは北緯55~56度ぐらい、ストックホルムで北緯59度ほどなので日本の近くでいえば、カムチャツカ半島のほぼ半分ほど北にあたる。うんと北極に近いのだ。

 


 

 午後7時、後甲板でリピーターを対象のカクテルパーティーがあった。下の写真の左2人目から王子さん、船長、堀岡さん、霞さんとわれわれだが、いずれもスター・クリッパーで活躍した面々。うちのかみさんはちょっと恥ずかしいというが、そん なことはない立派なリピーターだ。写真の左端は運動担当の航海科士官で多分三等か四等航海士だろう。イケメンと紹介されていた。

 

 この日の夕食はアーティチョークのサラダ、アスパラのスープ、ヨーグルトのソルベ、牛のオックステール、アイスクリーム、飲物は赤ワインに食後のコーヒー、もちろんパンは食べ放題となると、一体普段に比べてどこに入るやらと思いつつ、すべて平らげる。海の上では腹が減るとか、酸素が多いとかみんな勝手な理屈を付けては食べる。写真を見ると年寄りばかりだが、いずれもデザートまで充分に平らげているからまことに健啖というしかない。人のことは言えないが…。左端は中嶋さんだ。

 


 

 ゆっくり食事を楽しんで、午後10時トロピカルバーでファッションショウが始まった。誰が目を付けたのかまことに慧眼というしかないが、西谷ひさこさんにモデルの依頼があったらしい。でも一人ではねぇと彼女はうちのかみさんを誘った、らしい。頼まれたらイヤとはいえないとこの2人がこの夜の船客出身モデルになった。あとはすべてクルーと日本人団体の添乗員のお嬢さんたち2人。


 

クルーの男性に続いてわがグループの最初に西谷ひさこさんが登場、スタイルは良いし笑顔で活発に一周してやんやの喝采を浴びる。こういうところではオズオズは禁物でさっそうとしていなければならない。着替えが1回、小物を持っての登場が1回で、うちのかみさんもそれなりの貫録を見せた。何しろ白髪だ。日本人グループ添乗員の1人のお嬢さんは可愛い人でスタイルも抜群。右の写真がそうだが、添乗員よりモデルの方が似合う。ぼくは慣れないカメラで失敗した。ISO1600で撮影したのだがシャッタースピードが落ちる。それを忘れるというバカなことをして対象が流れてしまった。西谷ひさこさん、ごめんなさい。そんなわけで、中の写真は西谷さんからご提供いただいた。