福田 正彦

第1日  2013年8月3日 : スター・フライヤーに乗るまでに

 

ヨーロッパに「スター・クリッパーズ」という会社があって、ロイヤル・クリッパー、スター・クリッパー、スター・フライヤーという3隻の帆船を持っている。何れも今はマルタ船籍だそうで、後の2隻は全くの同型船、絨毯の模様まで一緒だ。2298トン、4檣バーケンチンで乗客定員170名、乗組員74名、帆装はすべて半自動化されている。ロイヤル・クリッパーは豪華船で図体もかなり大きい。ぼくたち、いやぼくには縁がない船だ。

 

 そんなことはどうでもいいが、われわれ本隊は成田からオランダ航空でアムステルダムに飛び、更にハンブルグまで飛んだ。ぼくは飛行機が好きだけれどもエコノミーで11時間はかなりしんどい。どうもねぇと思っていたら霞さんがいい方法があるという。早速代理店の王子さんに連絡したら1万8千円何がしで10センチ前が広く、リクライニングがエコノミーの倍という席があるんだとか。王子さんの奥さん久美子さん(仕事上は別姓を使っているのでぼくたちは旅行中「荻原さん」と呼んだ)がいいわよ、と気軽に手続してくれた。

 

 これがよかった。エコノミー・コンフォートというちょっと区画された部分で、何とも幸運なことに往復とも3人席でぼくたち2人。ぎっしり詰まって降りたら四角になっているんじゃないかと思うエコノミーに比べれば格段に楽だ。だから到着したハンブルグでの異常な30℃という暑さでも、ぼくの日本語は「じょうずくありません!」と叫んだドイツの若者の出迎えにも笑って耐えられた。

 

 これまでぼくはハンブルグを2度訪れている。1965年と1976年、今から48年前と37年前だからすでに漠たる思い出に過ぎない。まだ東西ドイツに分割されていた時代、ベルリンのブランデンブルグ門を少し離れて見てその緊張の度合いを知る身にすれば、穏やかな今のドイツはなんといっても好ましい。

 

    左は川の閘門、右はお揃いの面々


 

宿泊したのはザ・マディソン・ハンブルグというホテルで、先行した西谷、佐藤さん夫妻とここで合流した。ここはバンブルグ港に流れる川の近く、周辺を散歩してみると北海沿岸都市の例にもれず川をせき止める閘門が見える。こういうのを見ると北ヨーロッパに来たという気持ちになる。温度もかなりあるから朝食は屋外のテーブルで摂る。パンやチーズ、ハム類と牛乳に果物とまあ定番だが、33ユーロ、約4300円はかなり高い。

 

 昨日から中嶋さんのスーツケースが届かず、どうなったのか情報が交錯しているようでみんな心配だ。まあ、いざとなったら皆さんから1枚ずつ衣料を寄付して頂いて、と中嶋さんは穏やかなものだが、こういうところがこの人の真骨頂だ。いろいろ問題はあったが結局スーツケースは中嶋さんのもとに届き、みんなはパンツを寄付しないで済んだ。

 やがてバスが来て、市内観光をしてから港に向かうという。案内の女性の名前を記録し忘れたが、長年ハンブルグに住んでいるようでどうやらドイツ語の方が身に付いている。難しい単語になると「アムー」と間投詞が入る。「えー」といわないのがその証拠だ。普通にしゃべるとそんなことはないから、マイクで少し緊張するタチなのかもしれない。

 

 ハンブルグ港はエルベ川に面した河川港で、頻繁に行き来の多い舟運を妨げないように河を横断するトンネルが20世紀初頭に作られている。これがエルベトンネルだ。斜路ではなくて車もエレベーターでトンネルまで降ろすという大層な仕掛けで、昔からドイツ人のやることは大仕掛けだ。

 

   左がトンネル入り口、右は観光船もいる港の風景


 

200mlで2.5ユーロ(325円)という高いミネラルウォーターを買って、観光地とはいってもなあ、とぼやいているうちに市内の怪しげなところをバスが通る。女性と写真は禁止といわれて「飾り窓」を見て回るがこんなところは昼間見るものではないし、閑散としてちっとも怪しげではない。この手のものはいくつかランクがあるのだが奥方の多いこの旅で披露する勇気はない。やがてバスは正反対のサン・ミッシェル教会に着いた。ヨーロッパはどこでもそうだが、教会は1つの拠りどころで極めて絢爛豪華に作られている。この教会の特徴はブラームスと大バッハ(セバスチャン)の次男エマニュエル・バッハそれとテレマンの墓碑があることだ。またマルチン・ルターの像もある。

左は教会内部、右は音楽家の墓碑(左からテレマン、エマニュエル・バッハ、ブラームス)


 

市庁舎にも案内されたが、船に関心あるものとしては前庭にある黄金の帆船が目につく。

 


 

夫人連はもちろんそんなものには目もくれず、ちょっと見にくいが中洲の突堤にあるレストランで食事が出来たらいいと口々にのたまう。その食欲は計り知れない。市庁舎を出て歩く途中に新婚さんに出会った。ちょっとスペイン系と思われるが、スナップを撮るカメラマンが注文すると臆面もなくちゅうとやる。また不思議なパントマイムにも出会った。銀色で宙に浮いているのが、コインを入れるとおもむろに頭を下げるのがおかしい。


 

 昼食で一騒動持ち上がった。同じ系列らしいが店が違うという。そこまで地下鉄で移動しますと案内さんはちっとも動じない。かなりのミスだと思うのだがUバーンという地下鉄に乗れたのがまあ救いではある。ゲイの大会という大賑わいに交通規制までする中で昼食を摂り、午後5時40分に港に着いた。

 ハンブルグ市内から1時間20分、アウトバーンを通って到着したのがトラベミュンデという町でここにスター・フライヤーが係留されている。ただ、トラベはtraveと綴るから、ドイツ読みではトラフェとなるので、以下トラフェミュンデということにする。ここで乗船手続きをする。前回と同じに自分の責任において行動するという誓約書に署名する。後で出てくるがこれがものをいうのだ。今回はご丁寧に写真をコンピューターに取り込んで顔写真入りのIDカードを後でくれるが、これがないと船に乗れないことがある。


 

 上の写真の左が係留されているスターフライヤーで、右がぼくたちの船室330号室だ。前回より1ランク上だが、広いとはいえない。ベッドは手術台の両側を手のひら1つ半分広くしたぐらいでシャワーやトイレなどいろいろ機能的に配置されている。驚いたことに部屋にはシャンパンが氷に冷やされて置いてある。後で聞いたらリピーター用だそうで、そういえばぼくたちはこれで2回目の乗船だ。

 

 午後7時、救命胴衣を着けて集まれという放送があった。予め乗船早々に確かめておいたのでわれわれは後甲板の右舷に行く。いざという時の集合場所であり、救命艇に乗る場所でもある。着け方の説明などがあってから総合的な説明があるとトロピカルバーに移動する。バーといっても本船で一番広い場所で、何か行事があるときはここを使うのだ。

 

 図書室を背にして船長と、われわれが"宴会部長"と呼んだトラベルマネジャーが総合的な説明をする。彼女は精力的でよくしゃべる。あんまりよく解らないのはいつの間にか英語がドイツ語になるばかりでなく、こっちの英語理解ができていないからだ。


 

 ちょっと驚いたのは、打合せが出来ていたのかどうか知らないが、日本人の団体の添乗員の女性がその説明を日本語訳したことだ。船長はいくらか迷惑そうではあったが、この人はそれにめげずにいろいろ話す。上右の写真の左端の女性がその人だが、船長が強調したブリッジ付近で航海関係の作業の邪魔をすることを禁止する、というかなり強い警告を訳さなかったから、あんまり注意深い人ではなさそうだ。船ではこれが大変重要なのだ。この日本人の団体についてはこの後も何かと問題になる。

 

 そうこうするうちに、最初の晩餐になった。ダイニングの船尾側の2つのテーブルに"ザ・ロープ・グループ"と名札が置いてあって、そこがわれわれの食事時の根拠地となった。本船では朝と昼はバッフェ形式で、夜がメニューにしたがってフルコースの食事が供される。それにしてもこっちは疲れがたまっている。昼にたっぷり食べたしとても付き合えないと、メインディシュを断って前菜とスープだけにする。おまけにあまり酒の飲めないぼくたちはこれ幸いと部屋にあったシャンペンを持ち出してテーブルのみんなに飲んでもらった。こうでもしないと身がもたない。

 午後9時57分、本船は埠頭を離れたが、その前から土地の合唱団だろうか、岸壁に集まって歓送のコーラスを聞かせてくれた。柵を隔てて大勢がこの合唱と本船の出航を見送ろうというのだろう、どこでも物見高い人が多い。

 

 スター・クリッパーズという会社はいろいろな港から出すようで、ここトラフェミュンデも初めての寄港だとか。それもあってのことかもしれない。やがてステイスルが展帆され、船長はご自慢のバグパイプで合唱団に合わせ、ヴァンゲリスの男声合唱がスピーカーから流れ始める。

 

 この曲はギリシャの作曲家ヴァンゲリスが"1492年コロンブス"という題名で1992年に発表した映画?音楽で、その第2曲がコンクエスト・オブ・パラダイス。スター・クリッパーでも出航の時にいつもこの合唱が流れた。新大陸を目指す男たちの力強さと何がしかの哀調があって、ここはどうでも男声合唱でなければならない。既視感というんだろうか初めて聞いてもいつか聴いた曲という感じが強く、ぼくは大変好きになって早速CDを手に入れた。これを聴くといつでも心が躍る。

 

 こうしてヴァンゲリスと共にスターフライヤーによるバルト海の航海が始まった。