第9回  拿捕賞金

 海洋小説「海の風雲児Foxシリーズ①ナーシサス号を奪還せよ」の最初にこんな場面が出てきます。

『かつて1762年に … フォックスの生れる3年前のことだが… フリゲート艦アクティヴとスループ艦フェーバリットとがカジス沖でスペインの財宝船エルミオネ号を拿捕したことがあった。その財宝は、夢とまがう金銀宝石の山で、すぐには信じがたいほどだったという。財宝は結局54万4608ポンド1シリング6ペンスで売却されたと、ある新聞は報じ、別の新聞は総額51万9705ポンド1シリング6ペンスになったと伝えた。』(高橋邦夫・高永洋子訳)

 

 これは小説の中の記述ですが、本当にあった話で今でも有名な事実です。前回で乗組員の給料のお話をしましたが、その時に設定した円換算率(£1=3万円)で計算するとその総額は実に163億3944万2250円になります。もしフォックスがフリゲート艦アクティヴに乗り込んでいたら、後で説明する基準に従って3億9千万6125円を手にできたはずです。一介の海軍士官がただ1度の海戦で4億円に近い金を手に入れるとはどういうことか、それは拿捕賞金制度があったからです。

 

 「拿捕賞金制度」と聞いて、ははぁ~なる程とすぐ分かる人はかなり海洋小説を読んでいるはずです。拿捕賞金とは海戦で捕獲した商船なり軍艦を曳航して母国(英国ですね)に持ち帰って査定委員会などで拿捕賞金の対象になると判定され、その価値を決めたうえで賞金が拿捕した人たちに支払われるという制度です。いつの頃からそういったことが制度化されたかははっきりしないのですが、法的には英国で第二次世界大戦の初期まで残っていたと本で読んだことがあるので、英国の伝統的な習慣だったのでしょう。

 

 ホーンブロアーシリーズの「砲艦ホットスパー」には拿捕賞金について次のような記述があります。

 『ある国と戦争が勃発した場合、たまたまイギリスの港にいたその国の艦船は政府に押収されて海軍本部の取得となるが、賞金はそれとは別問題で、戦時中に海上で捕獲した艦船は国王、つまり国の取得となり、国の権利を放棄するという枢密院令によって特に捕獲者に与えられることになっている。』(菊池光訳)

 

 これが、拿捕賞金の法的根拠かもしれません。当然のことながら、こういった制度があれば前回に見た給料の海軍軍人なら拿捕賞金を狙うでしょう。テムズ川下流の貧困湿地帯で育ったジョージ・アクロバンビー・フォックスはもとより、この制度にいくらか批判的だったホーンブロアーでさえこういった場面が出てきます。アミアン条約の平和時のあと、開戦前のブレスト軍港の監視を命じられたスループ艦ホットスパーでのこと、

『「あれを見てください!一財産、通り過ぎてゆきます。」

「フランスのインド貿易船だな」望遠鏡を向けて、ホーンブロアーが言った。

「25万ポンドにはなりますよ!」ブッシュが興奮した口調で言った。

「これで宣戦が布告されていたら、あなたの取り分が10万ポンドくらいになるかもしれません。気をそそられませんか?」』(菊池光訳)

平時ですから見逃したのですが、捕獲して25万ポンドだとしたら75億円ですから艦長の取り分3/8なら28億円、つまり10万ポンド近くになるだろうとブッシュが言っているのです。拿捕賞金がいかに魅力的か分かろうというものですね。

 

 どこの国の船であろうと金になりそうな船を襲って強引にそれを手に入れるのがいわゆる海賊船(パイレーツ)ですが、初期のフランシス・ドレーク提督のように国の免許を得て自国以外の多くの船を襲い、その財宝を手に入れる(当然国家にもその成果を差し出す)のは、まあ一種の海賊ですがそれを私掠船(プライバティア)と呼んで区別しています。16世紀のエリザベス朝で活躍し、国家予算を超えるほどの金額を差し出したドレークの例のように財宝船を襲うのは昔からの習慣ですが、ではなぜ軍艦まで拿捕するのかはそれなりの事情があるのです。

 

 近代になってドレッドノード級といわれる鋼鉄の大型戦艦の時代以来、大砲は大きな進歩を遂げ、榴弾、徹甲弾という高性能な弾丸によって遠くから相手の船を沈めることができるようになりました。そのためには大きな大砲ほど射程が伸び、相手の射程の外から(いわゆるアウトレンジですね)敵艦を沈めることが可能だという大艦巨砲時代がやってきます。その最たるものが戦艦大和級で、口径46センチの世界最大の大砲を持っていました。最大射程42,000メートルという長大な射程を持っていて、艦隊決戦なら悠々とアウトレンジから敵艦を攻略できたはずです。残念ながら時代は大砲によるアウトレンジよりも航空機によるそれが勝って、大和も武蔵もその真価を発揮する機会がなく、時代遅れの戦艦として退場することになったのですが・・・

 

 まあそれは余談として、帆船時代の戦列艦は多くの大砲を積んでいましたが、まだその威力は大したことはなく砲戦によって相手の船を撃沈するほどの力はありませんでした。帆船時代の弾丸は基本的に鉄の塊で、木製の舷側に損害を与えることは出来ましたが、その主な目的は相手の人員の殺傷とリギンに損害を与えてマストを倒し、その行動を止めることにあったのです。

 

 当時の海戦でどのぐらいの距離で大砲を撃ち合ったのか。ホーンブロアーシリーズの「砲艦ホットスパー」の記述によると『昔からの教えによれば、片舷斉射をするのに理想的な距離は、<ピストルの射程> あるいは <ピストルの射程の半分> とさえいわれていて、20ヤード、できれは10ヤードである。』(菊池光訳)とありあます。20ヤードなら約18メートル、半分なら9メートルですからこれなら絶対に外れっこないでしょう。舷々合摩すという言葉通りの距離です。

 

 当時の実際の大砲の射程は調べてみると最大の68ポンドカノン砲で射程1,600メートル、同じ68ポンドカロネード砲で360メートルといわれています。68ポンド砲は普通の戦列艦にも使われていない大きな大砲ですから、一般的な12ポンドカノン砲を見ると射程180メートルとなっています。また9ポンドカノン砲は優秀な大砲で「400ヤードほど距離をおいた砲戦に向いている」と「砲艦ホットスパー」に出てきます。こういったことから考えると350メートルほどから砲戦が始まり、20メートルぐらいで片舷斉射の打ち合いがあるという様相が浮かんできます。

 

 敵艦の動きを止めて、次に何をするかというとそれは切り込みです。相手の船に乗り込んでピストルやカットラスで相手を倒し、敵艦を捕獲するというのが目的で、英国海軍の基本的な戦術でした。軍艦を作るには膨大な木材が必要です。大艦隊を作ったために英国から「イングリッシュオーク」が無くなったといわれ、後には北欧から大量の木材を輸入しています。また大砲やマストなど装備品も膨大で、敵艦を捕獲することは建造よりずっと安上がりだったはずです。それが軍艦を拿捕賞金の対象にした原因でしょう。

 

 海洋小説を見ると実際に捕獲したフランス艦を使っている場面がいくらでも出てきます。艦船の建造に関してはフランスに天才的な造船家がいて優秀な船を造っていると英国側でも評価しているようですが、建造になると生木と乾燥木が混在したりして、准士官である船匠が愚痴をこぼすという場面すらあります。まあそれはともかく、拿捕した敵艦を持ち帰って拿捕賞金にありつくことは艦長の名誉でもあり経済的なプラスでもあったわけですが、拿捕賞金をどのように分配したかというと、それは一般的には次のようだったといわれています。

指揮官    1/8

艦 長    3/8

士 官    1/8

准士官・下士官    1/8

水 兵    2/8

 ここでいう指揮官とは拿捕した艦の属する艦隊の司令長官をいいます。艦隊司令長官は労せずして1/8をもらえるわけで、まあ役得ともいえるのですがそのために優秀な艦長のいるフリゲート艦を索敵に派遣するといった措置を取ることも可能だったわけです。逆に身内の艦長を派遣するといった身びいきもあると小説にはよく出てきます。

 

 上の配分によって冒頭に述べたフォックスが4億円に近い金額を獲得できたかもしれないという点を考えると、163億3944万2250円の1/8は20億4,243万281円になり、3億9千万6125円が取り分だったとすると士官の数は5名強になる計算です。フリゲート艦とスループ艦2隻の士官数としては少ない感じですが身分による傾斜配分額だとしたら士官数は増えますからまあ納得できる金額でしょう。

 

 特例は特例は別として、実際的にこういった配分でどれほどの金になったか、例えば拿捕賞金の総額が1万ポンド(3億円)だったとしましょう。円換算の配分額は、

指揮官                    3750万円

艦 長                   1億1250万円

士 官                  3750万円(フリゲート艦で5人として)1人当たり750万円

准・下士官            3750万円(同じく30名として)  1人当たり125万円

水 兵                  7500万円(同じく350名として) 1人当たり21.4万円

となります。

1万ポンドは少し多い想定かもしれませんが、前回の英国海軍の給料と比較すると次のようになります。

月 給        拿捕賞金(1人当たり)

艦 長                  30~40万円           1億1250万円

士 官                  10~15万円                750万円

准・下士官    6~12万円             125万円

水 兵       2~5万円           21.4万円

 これを見ると拿捕賞金がいかに魅力的だったか分かろうというものです。

ただし、これには条件があって、この例は1艦のみで拿捕した場合です。拿捕賞金の規定では、戦闘時に視界の範囲にあったすべての軍艦に賞金を配分することになっています。戦闘にどのように参加したかで配分にどのような差が付くのかまでは資料がありませんが、おそらく何らかの差があっただろうと思われます。また、同じ士官や准士官といっても階級によって差が付くかどうかも資料がありません。

 

  こうしてみると、実際の拿捕賞金は上の表の何分の1ぐらいだったと思われるのですがそれでも給料に比べれば莫大な臨時収入になるわけで、水兵の募集にこの艦長はこれこれの拿捕賞金を貰っている、と宣伝すれば大いにアッピールしたことでしょう。拿捕賞金制度はいろいろ弊害もあるといわれながら長く続いたのはやっぱりお金の魅力だったといわざるを得ません。