第2回 ミスターロバーツ

 1955年のこの映画、ご覧になった方いるでしょうか。第二次世界大戦「ぼろバケツ」と自称する米国海軍のおんぼろ輸送艦AK601の副長がヘンリー・フォンダの扮する「ミスターロバーツ」です。戦闘艦勤務を熱望するロバーツなんですが無能な艦長は役に立つ彼を手放そうとしません。軍医の機転でやっと駆逐艦リヴィングストン勤務となった彼ですが、やがて日本軍の特攻機の攻撃を受けて戦死したという報告が届く・・・のがあら筋です。

 

 この映画の日本語訳の題名、何でロバーツさん、ロバーツ君ではなくてミスターなんだろうというのが今回の話題です。ロバーツは海軍中尉ですが、当時の日本の軍隊の習慣でいうと海軍なら階級が下であろうと呼びかけるときに「ロバーツ中尉…」といいますし、陸軍であれば階級が下なら「ロバーツ中尉殿…」といったはずです。階級が上でも公式の場では「ロバーツ」と呼び捨てにしません。陸軍でも海軍でも「ロバーツ中尉・・・」というのです。

 

 つまり日本の場合「中尉」「大尉」という一種の階級的な尊称を欧米の海軍では総じて「ミスター」で表します。提督とか艦隊司令官のようにうんと偉い階級にはそれなりの言い方があるのですが、一般の場合艦長といえども「ミスター」を付けて呼ばなければなりませんが、それはどの階級まででしょうか。帆船時代の海軍では「准士官」まで、つまり海尉、士官候補生、航海長、船匠、掌帆長、掌砲長、主計長、軍医、司厨長、従軍牧師、指導教官、先任衛兵伍長までです。

 

 士官候補生は13歳ぐらいから海軍に入り、はじめは海尉や時には准士官にもこき使われる身分ですが、それでも艦長をはじめ全乗組員は「ミスター」を付けて名を呼ぶのです。海軍の規律を維持する上でそれが絶対に必要だからなのですが、そういった欧米の習慣を理解するのは専門家でもはじめはかなり苦労しただろうと思われます。

 

 私の持っている「ホーンブロアシリーズ」の第1巻「海軍士官候補生」は昭和49年3月31日付の第一版第三刷ですが、その13頁にはこんな会話が出てきます。

「名前は?」マスターズはちょっと待ってからきいた。

「ホ―ホレイショ・ホーンブロアです。士官候補生の」と若者はどもりがちに言った。

「よろしい、ホーンブロア君」マスターズも同じく型通りの返答をした・・・

 高名な訳者の高橋泰邦さんといえども最初はホーンブロア「君」と訳しているのです。同時に当直士官のマスターズを「マスターズ少尉」と訳しています。新しい版になるとこれが「ミスター・ホーンブロア」、「マスターズ海尉」と直されています。海洋小説翻訳の草分けである高橋さんは大変な苦労をなさったのでしょう。ミスターと同じに「海尉」という訳も苦心の産物だと思います。高橋さんは「初版本を直すことができたらなあ」と何度も思ったのではないか、悔しい思いを後になってしただろうと、これは私の想像ではあるのですが・・・