第11回  帆船時代の食事(2) ー 水兵の食卓(後編) ー

 

 前回お話した「ネルソン時代の海上生活」を続けましょう。主食、といっていいのが肉です。規定では1週間で牛肉と豚肉を合わせて6ポンド、つまり2.7㎏程になります。1日の平均では390グラムになるので、かなり贅沢な支給だと一見思うのですが、どうしてどうしてそんなに英国海軍は甘くはありません。

 

 実際の支給量は前回お話したように表示量の4/6つまり260グラムですが、その内容なるものは新鮮肉とは似てもいない塩漬け肉です。長期航海に耐えるように肉はすべて塩漬けにして大きな樽に入れられています。おまけに英国海軍には「古い肉を最初に食べなければならない」という大原則があります。肉がコックのところに届くまでに数年かかることもしょっちゅうで、「それを調理して食べられるようにする時はコックよりも魔法使いが必要だった」と書かれています。

 実際に見ると「十分に乾燥されたマホガニーの木材に似た、塩漬け肉とは信じられない」ものだったといいます。水兵たちはこれらに彫刻して磨きこんだ細工物をこしらえたのです。肉の樽には伝説的な言い伝えがあって「年老いた弁髪の水兵のいうには、肉の樽に蹄鉄が入っていた、処理場で気になる吠え声やいななきが聞こえた、肉の積み込み場で黒人が行方不明になりそれ以来見つかっていない・・・」と書かれているのですが、これで見ると馬肉と犬肉(人肉は論外として)が極端に嫌われていたことがわかります。

 

 まあそういうこともあったにしても、すべてそうだったとは限りません。食事は水兵にとってやはり楽しみだったようで、特に戦闘前に十分な食事を摂らせることは、まともな艦長の責務だともいえるのです。ボライソー・シリーズの第19巻「最後の勝利者」で、36門搭載のフリゲート艦トラキュラントの艦長ポーランドはどうも乗組員への気配りがあまりないようで、同乗していた海軍中将ボライソーはこういうのです。

「掌帆長(ボースン)の組にギャレーを片付けさせて直ちに火を入れなおさせてくれ」・・・ポーランドの表情は見てみないふりをした。疑問でいっぱいの顔つきだ。調理場など、彼の頭の一覧表で上位になかったことは明らかだ。

「きみの部下たちは、とうてい戦える状態ではない・・・へとへとだよ。熱い食事をたっぷりとそれにラム酒の倍量の支給をすれば連中はきみの命令に従うし、ぶどう弾の最初の一吹きぐらいでへこたれはしないだろうよ。」(高橋泰邦訳)

 

 戦闘前の熱い食事、といえばやっぱり肉が主体だろうと思います。いい状態ではないにしても十分に食べられるものであることは明らかです。そして、フリゲート艦トラキュラントがフランスとスエーデンの謀略にかかって戦闘を強いられるとき、「あたりの空気にはまだ調理場からの脂っこい臭いが混じっており、露天甲板で立ち働く水兵たちに、前ほど緊張と疲労が見られなくなった。熱い食事をたっぷり摂らせることを優先すべきだと、ポーランド艦長に指示する前とは違っている。」(高橋泰邦訳)ということになったのです。水兵たちに「われらがディック(リチャードの愛称)」と呼ばれたリチャード・ボライソーの面目躍如といえるでしょう。

 

 ところで、食物の補給というのがどの程度のものか、軍港での補給など実際の数字はまず海洋小説には出てきません。しかし、具体的に記載された場面があります。ホーンブロア・シリーズの第5巻「パナマの死闘」でのこと。スペインの占領軍に反乱を起こさせる目的で、ボライソーはフリゲート艦リディヤに武器弾薬を積み、はるばるホーン岬を回ってパナマの怪しげな反乱軍の首領スプレモと会談します。リディヤの乗組員は380人で、この時船倉はほとんど空になっています。パナマからホーン岬を回って、英国までとはいわなくとも、西インド諸島かセントヘレナ島で補給できるまでの食料を補給しなければなりません。西インド諸島とはカリブ海諸島のことで、セントヘレナ島は大西洋の南寄りの中間点にある孤島で、ナポレオンの流刑地としても知られています。まあ普通でも数か月はかかるでしょう。

 

 ホーンブロアは武器弾薬を渡す前に、吹っ掛けてフリゲート艦が7ヶ月の航海に必要な多種多様な補給物資の要求をします。「明日、本艦の水樽を満水にしなければならない。」、「去勢牛を200頭、痩せて小さいのなら250頭、豚500頭、塩を10トン、堅パン40トン、もし焼いたものが手に入らなければ同量の小麦粉に、それを焼くオーブンと燃料の用意、レモンかオレンジ、あるいはライム4万個分のジュース――それを入れる樽はこちらから出します。砂糖を10トン、タバコを5トン。コーヒーを1トン。この辺じゃジャガイモを栽培(つく)っていますね、そしたらジャガイモを20トンもあればいいでしょう。」 (高橋泰邦訳) おそらく5等級か6等級のフリゲート艦の調達量がこんなにも多いことにびっくりするのですが、辺境の土地でこれだけの要求にこたえるには国中から集めなければなりません。それでも人を殺すことを屁とも思はない独裁者を意識して、命ぜられた係は必死になって調達します。

 

 結局2日間で大量の牛を屠殺して樽に積み込むことに成功し、小麦粉の代わりに提供されたトウモロコシ粉を違反の種にしてラム酒と葉巻まで手に入れたホーンブロアは、この後に武器弾薬を渡して任務を終わらせ、近所にいるスペイン艦と対峙することになるのです。ここで注目すべきなのは、水兵たちが当分の間新鮮な肉を手に入れたという点です。大部分は塩漬けにしたとはいえ、数日分は生の肉、また塩漬けとはいえ屠殺してから幾日も経っていない塩漬け肉は望外の美味なのです。この場面ではないのですが、調達した牛の群れを見た水兵が「旨そうな肉が来たぞー!」と叫ぶシーンがあります。氷見の港で大きな寒ブリを見て旨そうなブリだと思うのと一脈通ずるところがありそうです。

 

 普通、塩漬け肉の大樽を船底から取り出して大鍋で煮て、調理できるようにする作業は司厨員の役割です。大量の塩で漬けてあるのでこの時は海水で煮たと思われます。肉を煮るときに当然脂肪分が浮いてきますが、この脂肪分が司厨員の取り分で、油で炒めるとかメス・コックが料理するときに必要な油は司厨員から手に入れなければならないのです。そこでいろいろな交渉が行われたようで、そのあたりがメス・コックの腕でもあったのでしょう。油脂の支給品には「バター」があるのですが、本来船の環境に合うはずもなく「海上で1、2か月も経つと最悪の状態になった。やがてそれは探し出されて厳密に検査され、腐っていると宣告され、そしてシュラウドやランニングリギングの塗油用にと掌帆長にさしだされた(ネルソン時代の海上生活)」のですから、食用油としての役割はあまりなかったと思われます。

 

 チーズも同様で、「夕食に時として強烈な船のチーズの割り当てを受けることがあったが、これは想像できる限りの忌まわしいがらくただった。それは海上で保存すべきでものではなかった。船倉の中に1ヶ月もおけば、恐ろしく溶け、その上、さらに悪いことに、長い、太った赤い虫を繁殖させた(同上)。」とあるのですが、当時の船にはオーロップデッキに丸い大型の大量のチーズの保管庫があって、常に水面下にあるこのデッキでは、熱帯は別として、上にいうほど悪い条件ではなかったようにも思われます。その理由はこの後で書く予定の「提督の食卓」でご説明しますので乞うご期待。

 

 液体の食べ物は比較的に好評で、えんどう豆のスープは「どういうわけか昔から美味しかった」そうで、普通は熱いうちに飲んだのですが、何人かは夕方まで取っておいてグロッグとビスケットの付け合わせとして冷たくなったものを食べたといいます。一方、朝食として支給されるオートミールの粥は「バーグ―」あるいは「スキラゴリー」と呼ばれて瀕死の男でも食べられないようなものなので、多くは豚の餌となったそうです。

 

 これはある顧問医官が ”胃酸過多気分と便秘気分の矯正剤“ として効くだろうと信じたために水兵に強制されたようで、「もともと品質が悪かったのだが、口にするのも恐ろしい船の水を使って樽の中で煮立てるというコックの邪悪な意図が加えられたときこの食事は言語に絶する気味の悪さとなった(同上)。」のですが、何しろ強制される食事ですから食べさせられる方はたまったものではかなったようです。さすがに後年少量の糖蜜あるいはバターが支給されたといわれています。

好ましい朝食は「スコッチコーヒーであり、あるいは焼いた船のビスケットを水で煮て砂糖で甘くした濃厚なペースト」で、支給品のリストにはないのですが、軍用のココアに赤砂糖を入れたものも好まれたようです。

 

 水兵の食事で忘れてはいけないのがアルコール類です。英国を出帆した軍艦でまず支給されるのがビールでした。水兵たちはビールがある限り水を飲まなかったといいますからまずまずの味だったのでしょう。これがなくなると艦長はワインか蒸留酒の支給を許します。1ガロン(4.55リットル)のビールに相当するのがワインなら1パイント(約500ml)、あるいはラム酒かウィスキーなら半パイント(約250ml)とされていました。水兵たちは白ワインを好んだようでスペイン産の安ワイン「ロソリオ」と「ミステラ」がお気に入りでした。特にミステラは恐ろしく辛い白ワインでしたが水兵たちはこれを愛して「miss tailor」と呼んだそうです。しかし赤ワインは評判が悪く、地中海に入ると赤ワインが支給され、水兵たちはブラック・ストラップ(黒い締め皮)といって顔をしかめたといわれています。

 

 まあ、しかし何といっても水兵のお気に入りはグロッグ、つまり水で割ったラム酒です。何がなくともラム酒がなければ反乱が起こるといわれているように、水兵たちにとってラム酒はなくてはならないものだったのはどの海洋小説を見てもはっきりしています。実際にはラム酒(生のラム酒)の大樽がたくさん船底に積まれ、海兵隊員によって厳重に監視されていました。それが解けるとき、つまり反乱が起こったときに顕著になるのがラム酒の乱飲です。

 

 ボライソー・シリーズの第20巻「大暗礁の彼方」で、海軍中将ボライソーは愛人レディ・キャサリン達とともにブリッグ帆装の郵便船ゴールデン・ブラバーで英国から任地のケープタウンに向かうのですが、現地で活動中の英国陸軍兵士たちの給料となる金貨を大量に積んでいたために航海士リンカーンが首謀者となって反乱が起こります。

 「キーンはそちこちで揺れ動くマスケット銃を目におさめた。(牢獄から)解き放たれた兵隊だとすぐわかる男たちの玄人らしい銃の扱い方だ。ただ一人だけ例外がある。その男はメインマストの根方に寄りかかって座り、小声で鼻唄を歌ったり、石製のジョッキからラム酒をごくごくと時間をかけて飲んだりしている。」(高橋泰邦訳) 反乱というのは軍艦では一番の重罪で、言い訳なしにヤーダムから吊るされる(つまりヤードの先端で絞首刑になる)犯罪です。したがって反乱を起こす方は仲間を何としてでもまとめておかなければならないのですが、その一番手っ取り早い手段がラム酒の乱飲です。上のように反乱者の下っ端が自由にラム酒を飲む一方で、首謀者の「リンカーンが大コップのラム酒をごくごくとあおり、やかましい喘ぎ声を立てながら、赤らんだ眼を彼女の胸の手に据えた。(同前)」という、乱暴な反乱にラム酒が一役買っています。

 

 通常の場合、海軍の正午の割り当て量は純粋なラム酒1ジル(約140ml)を3ジルの水と壊血病を防ぐための少量のレモンジュース、それに少量の砂糖とを混ぜたものだったといわれています。最も古参水兵にとっては薄めたラム酒はお気に入りではなく、何日分をも貯めたり、脅し取ったり、交換したりして常に純粋のラム酒を飲むのが日常だったようです。ここで注意したいのは、レモンジュースが使われていることです。昔から帆船には壊血病がつき物で、それがビタミンCの不足が原因だとわかるのははるか後世ですが、この当時レモンジュースによって防ぐことができることはわかっていました。しかし、これは当時正規の支給品でないので、おそらく艦長が自腹で買って積んでいたと思われます。それでなくとも定員不足になりがちな帆船時代の軍艦で、戦闘以外に大量の乗員を失うのは大きな問題です。もちろんそれもあるのですが、艦長の中で乗組員の健康に留意するかしないかが大きな分かれ道になったことでしょう。飲用ではなく消毒用の酢を積み込むのもこういった配慮の一端であったのです。    (つづく)

 

追記: ポストキャプテン(勅任艦長)について

  前に、海軍の階級のところで海尉の上がキャプテンで、任官してから3年間は右肩だけに肩章を付けるのだと述べました。ボライソー・シリーズの第20巻「大岩礁の彼方」には、ボライソーの甥にあたるアダムが叔父の屋敷に馬に乗って登場しますが

 「・・・さっき馬を乗りつけてきたときには、ボライソーとそっくりだった。だが叔父と同じ黒い髪のこの青年はまだ27歳で、右肩にだけ艦長の肩章を付けている。(高橋泰邦訳)」と書いてあります。また、同じシリーズの第19巻「最後の勝利者」で、冒頭に述べたフリゲート艦トラキュラントの艦長ダニエル・ポーランドについて次のように述べています。

 「ポーランドは艦長になって2年たつが、本格的に『勅任』を受けるにはさらに6か月の期間が残されている。勅任を受けたとき、その時こそ初めて、人生の大きな不幸や災難に逢う憂いが薄らぐのだ。(同前)」 つまり、海尉(ルテナント)から海尉艦長(コマンダー)を経て艦長(キャプテン)になっても3年間は勅任艦長(ポストキャプテン)ではない、ということです。いわば、最初の3年間は「正規艦長」ということでしょうか。そのあたりがこれまであいまいでしたのでここに修正しておきます。

 

 海尉艦長でも乗組員たちは「キャプテン」といいますが、公式には絶対キャプテンとはいいません。あくまでも「コマンダー」です。おそらく正規艦長の時の公式な言い方は「キャプテン」であり、勅任されて初めて「ポストキャプテン」と呼ばれるのだろうと思います。こうして初めて両肩に艦長の肩章を付けることができるのです。