第1回  ワイブス

 ワイブズ? そう集団ならワイブズ、一人ならワイフ、お分かりでしょ「奥さん」のこと。これが帆船時代の軍艦にたいへん関係があるのです。ホレイショ・ホーンブロアの物語「マスター・アンド・コマンダー」というDVDをご覧になったと思いますが、あの最初のシーンは極めて印象的でした。霧雨の中、ボートから戦列艦に入ってゆくと暗い甲板の中に水兵に交じって怪しげな女が大勢いるのにびっくりしませんでしたか。それが「ワイブズ」なんです。

 

 政府任命でない下士官あるいは水兵の調達は当時すべて政府、英国でいえば海軍委員会(まあ海軍省ですね)が世話をしてくれたわけではありません。74門艦という戦列艦クラスになると500人から600人もの乗組員を集める必要があります。どうしても不足する乗組員を艦長は何としてでも調達しなければなりません。そこで募集以外に「強制徴募(press gang)」という制度がありました。これは、免除されるという書類を持っている者以外はどんな職業であろうとも強制的に軍艦に乗せてもいい、とまあ一種の奴隷狩りみたいな制度でした。

 

 海洋小説を読むと、士官候補生や下級士官に率いられた強制徴募隊が町や漁村に上陸して若い男をこん棒や縄を使って無理やり軍艦に乗せるシーンがいくらでも出てきます。ジュリアン・ストックウィンの「海の覇者トマス・キッド」シリーズの主人公、トマス・キッドは何とカツラ職人でした。戦列艦デューク・ウイリアム号に強制徴募されてそこから彼の海軍生活が始まります。

 

 というわけで、強制徴募された水兵、監獄から回された水兵など当時の軍艦は不平不満の種をたくさん乗せていました。したがって絶対権力を持つ艦長の一番の心配事は反乱と逃亡だったのです。何ヵ月もの航海を終えて母港に戻ってきてもこういった水兵を上陸させるはずはありません。「女は乗せない戦列艦」ですから故郷に帰って里心のついた乗組員を何とかしないと逃亡や反乱の危険があり、そのために停泊中に女房なら乗せてもいいということになっていました。

 

 連中がこの制度を利用しないはずはなく、商売女を「女房」だと称してみんな船に乗せたのです。士官連中も黙認せざるを得なかったはずで、制度上はこれらの女をみんな女房と呼んだのです。なぜ怪しげな女を「ワイブズ」といったか、お分かりいただけたでしょうか。

 

  「ワイブズを追い出せ!」という命令が出航の前に出るのですが、どうも徹底されていない例もあったようで、「女を隠す場所はいくらでもあらあな」とうそぶく古参水兵の話も出てきます。昔から女と男ですねぇ。