番号 | 船 名 | 製作者 | 番号 | 船 名 | 製作者 | ||
No. 1 | ノーランスボタン | 関口 正巳 | No. 6 | マリー・ジャンヌ | 関口 正巳 | ||
No. 2 | ベンザジェール | 小林 正博 | No. 7 | モリセイロ | 関口 正巳 | ||
No. 3 | クラベンカッター | 赤道 達也 | No. 8 | ムレタ | 西谷 眞宏 | ||
No. 4 | セント・アイブスの漁船と灯台 | 松本 善文 | No. 9 | アルガルヴェのカノア | 関口 正巳 | ||
No. 5 | ボッター | 関口 正巳 | No.10 | カタロニアン・ボート | 関口 正巳 |
No.1 ノーランスボタン (NORDLANDSBADEN)
製作者:関口 正巳 船 籍:ノルウェー 建 造:17世紀 縮 尺:1/20
キット:ビリングボート
北ノルウェーの、このボートについては17世紀頃にはその存在が記録されている。エンジン搭載の漁船が現れる以前の18世紀には効率的で航海に適したもっともポピュラーな多目的に使われた船であった。またヴァイキング時代のシッピング文化の面影を残している。いまだに建造されており、北部沿岸でレースやレガッタの競技に使われている。このモデルの原型の"オプライスニンゲンOpreisningen"は1901年Ranaで建造され、修復の後オスロの海事博物館に保存されている。
No.2 ベンザジェール (BENZAGERE)
製作者:小林 正博 船 籍:ノルウェー 建 造:1952年 縮 尺:1/20
キット:アルテサニア
19世紀末頃からフリースランドでは、ある種のエビと貝の採集が始まった。 ドイツで作られ、60馬力のエンジンを持つこの船は当該漁業に活躍したが、1979年この漁業が禁止され、現在は改造されて観光船として活躍中である。
No.3 クラペンカッター(KRABBENKUTTER)
製作者:赤道 達也 船 籍:ドイツ 建 造:1952年 縮 尺:1/30
キット:ビリングボート
このタイプのボートは北ドイツ沿岸の小さな港でしばしば見られた。ドイツ・クラッベンカッター造船所の典型的なトロール船で3人乗り、デンマーク諸島および西ドイツ海域で操業した。1952年クックスハーフェン(Cuxhafen)でCux87として竣工した。
No.4 セント・アイブスの漁船と灯台
製作者:松本 善文 船 籍:イギリス 建 造:1900年 縮 尺:1/54
キット:自 作
セント・アイブスはコンウオール半島のほぼ西端、大西洋に面した港町である。かつては鰊漁などに従事する流し網漁船が集い、殷賑を極めた漁港であったが、魚の激減と共に漁港としての繁栄は去り、現在は「アートの町」(例えば陶芸に関心を持つ人ならば、セント・アイブスの名を聞くと、陶芸家バーナード・リーチや濱田庄司を思い起こすであろう)として多くの観光客を呼んでいる。
18世紀から19世紀、この西コンウオール地方はセント・アイブスを始め、ペンザンスやニューロンなどの漁港が点在し、多くの特徴的な"Sailing Drifter"(流し網帆船)が集い、鯖や鰊の水揚げを誇っていた。漁業最盛期のここセント・アイブスに、一人のアマチュア画家が生まれた。70歳から独学で絵を習得し,漁港風景や漁船を描き続けたアルフレッド・ウォリス(1855~1942)である。
2007年、彼の展覧会が東京都庭園美術館で開催され、稚拙と表現したほうが良いような彼の絵だが、それらが醸し出す魅惑に溢れた不思議な雰囲気に魅了され、この世界を何とか形に表現したいと考えたジオラマである。
No.5 ボッター (BOTTER)
製作者:関口 正巳 船 籍:オランダ 建 造:1912年 縮 尺:1/35
キット:アルテサニア
豊かな漁場であったゾイデル海はかってはアムステルダムに近いところまで入り込んだ北海の大きな湾であったが、水と戦ったオランダ人は1933年に大堤防を築き、きれいな水のアイゼル湖に変えた。しかし多くの漁場を失うこととなった。このような歴史的背景を超えて、その地域独自の変化を持った様々な種類の漁業用帆船があった。もっともよく知られているのがボッター(Botter)である(この船の大型のものをKwakという)。ボッターはエンクホイゼン、ホーレンダム/エダム、モニッケン、マルケン他で活躍した。スパーケンブルグ(Sparkenburg)はボッター建造の重要なところであった。
ボッターに関しては図面も含めて膨大な資料が存在する。オランダ各地の博物館にもオリジナルの図面が保存されている。しかし、ボッターのような伝統的な小さなボートでは通常は図面なしで作られる場合が多い。船内には海水の貫流する生簀を備えており、新鮮な魚介類を市場に届けられるよう配慮されている。
博物館はまた19世紀以前に作られたいろんな種類のモデルや実物も所有している。19世紀末からボッターはプライヴェート・オーナーによりプレジャークラフトに改装されたり、新たに作られている。
No.6 マリー・ジャンヌ (MARIE JEANNE)
製作者:関口 正巳 船 籍:フランス 建 造:1908年 縮 尺:1/50
キット:ビリングボート
マグロ漁は非常に厳しい操業なので、頑強で海に立ち向かう十分なスピードの出る強い船が必要とされた。初めは他の目的で建造された凡そ20トン程度のシャループ(Chaloupe)タイプの船を使用していたが十分な強さがなく、時には大変不格好な船も使われていた。折々の試行錯誤の結果、改善され19世紀末にデュンデー・タイプ(Dundee)のマグロ漁船のかたちに定着した。
この船は20~25トンのバラストを積み、50~60フランス・トン、2本マスト、12人乗り、マルチカラーの大型の十分に強い帆を持った優雅な漁船である。しかし、コンカルノーには永い間、動力帆船のスクリュー音は魚を遠ざけるという信仰を漁師関係者の間で不都合な憶測として残っていた。ところが同じビスケー湾で操業するスペイン・バスク地方の漁船群は15トン程度の小型蒸気船を使用していた。1935年頃よりコンカルノー界隈でもモータリゼーションが普及し、優雅なマルチカラーの帆を持った2本マストの漁船は第2次大戦後急速に作られなくなった。
白マグロの釣り方は、操業中はメインマストの両側に触覚のように備えられた釣竿(Antennes)を左右に低く開いて降ろし、通常7本のラインを流してそのライン各々の途中に船に手繰り寄せられるラインを結んでおき、漁師たちは釣竿のところにまで行かずに甲板までマグロを引き上げることが出来た。
仕掛けの長さは20m以上あった。第2のラインは船尾に2本取り付けられており、時にはメインマストのトップに取り付けられた非常に長い第3のラインまであった。ラインの端末は真鍮線で作られたアヴァンコン(Avancon)と呼ばれているもので、そこには釣り針が固定されている。白マグロは大食漢なので疑似餌で釣る。疑似餌は白髪や麦わらで作られている。ブルターニュ地方は潮流の干満の差が著しく(4~5m)、係留中の船が引き潮時に転倒する恐れがある。そのため転倒防止の目的で舷側の両側には松葉杖状に突っかえ棒(Bequilles)を取り付けられるようになっていた。舷側にはこの突っかえ棒を保持するための補強材が取り付けられている。
No.7 モリセイロ (MOLICEIRO)
製作者:関口 正巳 船 籍:ポルトガル 建 造:20世紀 縮 尺:1/25
キット:アルテ・ナバル
ヨーロッパ大陸の最西端、ポルトガルのロカ岬の北240キロほどのところにアヴェイロ(Aveiro)という水郷地帯がある。その潟に植生する海藻が肥料として有効なことを知り、その採集に平底船が使われはじめた。この藻の名前「モリソ(Molico)」から平底船の名前がモリセイロと呼ばれるようになったと伝えられている。青い空をバックに水郷地帯を白い帆をなびかせ、絵で加飾されたカラフルな船首尾を弓形に反り上げ、美しいシルエットを醸しだしている。
現在は夏季の間だけ、帆を取りはずしモーターをつけてこの船で観光クルーズを行っている。春には船首尾の飾り絵のコンクールも執り行われているという。
No.8 ムレタ (MULETA)
製作者:西谷 眞宏 船 籍:ポルトガル 建 造:1875年 縮 尺:1/60
キット:自 作
この模型はセイシャルのムレタである。ムレタは一般には「セイシャル(Seixal)、バレイロ(Barreiro)、カスカイス(Cascais)」とこのタイプの船が使われていた場所の名で呼ばれ、ポルトガルでもこの中央部地域でのみ使われていた。
特にリスボン近辺の沿岸、テージョ河口で古くから使われてきた漁船である。ユニークな独特の船型はアーティスティックなスタイルを作り出している。その背景には地中海の船やオリエントの影響をあげる説がある。ムレタの名前の由来はラテン語の「ややこしい操船」の意味からきている。安定性があり、帆走は遅いが風下へはよく走る。ラウンド・ボトムのフレーム構造は頑丈な作りでキール部が船底に凹み、干潮時の座りを考えている。船体形状は13世紀のノルマンの船と非常によく似ている。
漁法はタルタラーニャ(Tartaranha)と呼ばれる底曳き網をフォワードブームとリアブームに取り付けて、風に対して舷側を向けて曳っぱる漁法である。
資料には熊本の八代の打瀬舟が同種と紹介されているが、日本各地に似たような漁法が存在する。おなじムレタでもカスカイスのものは船尾に底曳き網を取り付けて曳くタイプである。
No.9 アルガルヴェのカノア
(Canoa de Conves do Algarve)
製作者:関口 正巳 船 籍:ポルトガル 建 造:1899年 縮 尺:1/25
キット:自 作
この模型はもと商船の船長だったアントニオ・マルケス・ダ・シルヴァ氏がポルトガル南部に位置するタヴィラ島のサンタルチア海岸に半分埋もれていたボート2隻を、ほぼ完全な形で見つけ出し、再現を試み、図面化したものに拠っている。
砂中に埋もれていなかった部分は外板が失われていたがかえって構造がよくわかる状態であった。彼はこの船を再現し、彼の古い友達で地元の生粋の漁師に持参した写真を見せて意見を求めたところいくつかの重要な回答を得た。
彼の意見では再生したカヌーはほとんど間違いないと。漁師にとって船は家族同然で、この種の船は1950年代にはサンタルチアやフゼータに沢山停泊していた。再生した船はランシェ・コヴェルト(甲板付のランチ)と呼ばれていた。この船の長さは7~8mで、スペインやモロッコの海岸まで漁に出かけていたとのことである。
No.10 カタロニアン・ボート
(BARQUE CATALANE)
製作者:関口 正巳 船 籍:フランス 建 造:1893年 縮 尺:1/25
キット:自 作
この模型はパリ国立海洋博物館友の会(AAMM)発行のモノグラフィーを使用して製作をしている。"スペイン・カタロニア海岸"のタイトルで掲載されている記録Souvenire de Marine Conservesの1877年の図面は、コッリウール(Collioure)のカタロニアボートに関しての記録とはかなり異なっているので考慮する必要がある。AAMMの図面は1893年コッリウールの町で建造されたバトー・シャルルマーニュ号(Bateau P.492 Charlemagne)に関しての1949年の記録をもとに作成されたものである。
その記録のもととなったものは、ヴァンドル港(Port-Vandres)の船大工ベルナドゥ(Bernadou)が古いドゥミ・モデルのコピーを所有していたものに準拠している。シャルルマーニュ号の長さは10.33 m、巾3.06 m。このボートはバァニュルス、コッリウール、バルカレスでよりもポール・ヴァンドルでより多く使用されていた。コッリウールでは3月から9月にかけて片口イワシと特にイワシ漁をメインに、20~650mの長さの網を張って漁をしていた。船底には中央のキールのほかに両サイドにほぼ垂直なキールを1本ずつの計3本のキールがついている。直進性を得るための横流れ防止策なのか陸に揚げた時に転倒しないためなのか効能は不明。
スペインにかけてのこの地方では船を夜間海岸に置き去りにすることはなく、馬車などで自宅に船を持ち帰るという風習があった。それは海賊からの盗難を防ぐためであった。