第33回 世界の帆船模型展 3/7

 番号    船 名  製作者  番号    船 名  製作者
No.21   サンタ・マリア 首藤 克彦 No.26   ヴィクトリー 根岸 和之助
No.22   ピンタ 首藤 克彦 No.27   ソヴィリン・オブ・ザ・シーズ 三浦 薫範
No.23   ニーニヤ 首藤 克彦 No.28   大成丸 三浦 薫範
No.24   カタロニアの船 五十嵐 康晴 No.29   バジャー 西明 秀哉
No.25   フリースランド 仲藤 正雄 No.30   パンドラ 前川 政司

  No.21  サンタ・マリア (SANTA MARIA)

 

    製作者:首藤 克彦    船 籍:スペイン    建造年:1492年    縮 尺:1/65

    キット:アマティ

 コロンブスの探検航海の船団の旗艦である(僚船はニーニャとピンタ)。商船「ラ・ガレガ」を雇いサンタ・マリアと改名した。船主ホアン・デ・ラ・コサは、航海長として加わる。船型はナオ船と分類され、これはキャラックをさす。 

 1492年10月10日にピンタの乗務員により陸地を視認した後、約2ヵ月間キューバ周辺を探検したが、当直の居眠りが原因でハイチの珊瑚礁で座礁した。船材は、ラ・ナビダド砦の建設に使用された。この船の記録はほとんど無く船型は定かでない。このため国内外で販売されている数種類のキットの船型はそれぞれ異なる。

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  No.22  ピンタ (PINTA)

 

    製作者:首藤 克彦    船 籍:スペイン    建造年:1492年    縮 尺:1/65

    キット:アマティ 

 コロンブスの探検航海の3隻の船団の1隻である(旗艦はサンタ・マリア、僚船はニーニャ)。船型はキャラベル船と分類され、クリストバール・キンテーロの持船である。コロンブスの主要な協力者のピンソン兄弟が、船長と航海長を務める。1492年10月12日、この船の船員により未知の島が発見された(サン・サルヴァドル)。その後、船長の独断で一時的に他の2隻と別行動を取るが、1493年1月にコロンブスと合流。この時点で、サンタ・マリアは失われていたが、ニーニャと共にスペインへと帰途につく。 この船の記録は少なく、船型には不明な点が多い。

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  No.23  ニーニャ (NINA)

 

    製作者:首藤 克彦    船 籍:スペイン    建造年:1492年    縮 尺:1/65

    キット:アマティ

 コロンブスの探検航海の3隻の船団の1隻である(旗艦はサンタ・マリア、僚艦はピンタ)。ファン・ニーニョの持ち船を借り上げ、「ニーニャ」と改名。持ち主は航海長として加わる。船型はキャラベル船と分類される。コロンブスが最も好んだ船がニーニャであった。 

 サンタマリアの座礁後、コロンブスはニーニャに移乗してスペインのパロス港に帰着した。コロンブスの2度目、3度目の航海にも加わる。2度目の航海では、船団がハリケーンに遭遇し、ニーニャがただ一隻生き残り、翌年スペインに帰還した。

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  No.24  カタロニア船 (CATALAN SHIP)

 

    製作者:五十嵐 康晴    船 籍:スペイン    建造年:1450年    縮 尺:1/30

    キット:ウッディジョー

 15世紀当時、織物産地として隆盛にあったカタロニア地方と地中海沿岸各地や、北ヨーロッパ各地を結ぶ交易船として活躍したカタロニア船は、全長80フィート(約24メートル)程の大きさで、舷側に飲料水(あるいはブドウ酒)入れの大きな皮袋や篭が吊り下げられたその姿から当時の航海の様子がしのばれます。 

 この船の製作に当たっては、古い感じを出すために全体に黒っぽく仕上げました。

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  No.25  フリースランド (FRIESLAND)

 

    製作者:仲藤 正雄    船 籍:オランダ    建造年:1663年    縮 尺:1/75

    キット:マモリ

 17世紀に入り、オランダは東インド会社を設立後、世界に雄飛し、国家の大繁栄をもたらした。その繁栄をバックアップしたのがオランダ海軍の戦列艦である。1663年に建造されたこの帆船は、1672年の英仏連合軍との戦いに大活躍しオランダの造船技術の優秀性を見せつけた船として、その名が残っている。80門の大砲を搭載する二級戦列艦である。 

 なお、この姉妹艦が長崎のオランダ村に実寸の復元船として保存されている。2年かけて製作し何とか今回の出展にこぎつけたが不満足な点も多く、オランダ村に行って今後の為に見学しようと思っている。

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  No.26  ビクトリー (VICTORY)

 

    製作者:根岸 和之助    船 籍:イギリス    建造年:1765年    縮 尺:1/150

    キット:自 作

 1765年建造、イギリスの第一級戦列木造三層艦で102門の砲を搭載、進水後何度も改造されて、1803年にはさらに実戦向きに改造されて、かの有名なトラファルガー海戦に臨んだ。 

この時ビクトリーに座乗して全軍の指揮をとったのがネルソン提督で、イギリス軍27隻に対して、フランス、スペイン連合艦隊33隻を敵に回して大勝利を収めた。この優秀な性能を持ったビクトリーはその後も歴代艦隊司令長官の旗艦として数々の大海戦に参加して、現在もポーツマス軍港指令長官の旗艦として現役待遇で、同港の乾ドックに保存されている。

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  No.27  ソヴリン・オブ・ザ・シーズ 

        (SOVEREIGN OF THE SEAS)

 

    製作者:三浦 薫範    船 籍:イギリス    建造年:1637年    縮 尺:1/77

    キット:自 作

 世界最初の本格帆装戦艦"黄金の悪魔"ソブリン・オブ・ザ・シーズは皮肉にもこの艦名の頭文字を並べると「S・O・S」で現代、万国共通の救難信号であり、予見するかのような不慮の火災から沈んでしまった。また、この船ははっきりした図面などがないため、様々な絵画や模型などからの様子でしか見ることが出来ない。 

 今回製作に当たりオランダやスペインなどからは黄金の悪魔とよばれるにふさわしい華美な彫刻と異様な雰囲気が見てとれるような船体に仕上げた。余談だが、日本では鎖国の江戸時代でキリスト教弾圧の"島原の乱"の最中だった。

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  No.28   大 成 丸

 

    製作者:三浦 薫範    船 籍:日 本    建造年:1903年    縮 尺:1/105

    キット:自 作

 大成丸は明治37年12月に神戸の川崎造船所で進水、翌38年公式試運転を行ったが、時たまたま日露戦争のため海軍運搬船に徴用されマスト、ヤードを取り外して学生を乗せ、海上輸送に従事した。

海軍の徴用を解かれ、再び帆装を整えた大成丸は、明治39年10月25日に第一次遠洋航海に出帆した。そして明治末年と大正初頭にかけて二度の東回り世界一周航海の偉業を成し遂げた。 

大成丸は昭和20年船体修理のため神戸三菱造船所に向かう途中神戸港内で敵機の敷設した機雷に触れ沈没。

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  No.29  バジャー (BADGER)

 

    製作者:西明 秀哉    船 籍:イギリス    建造年:1776年    縮 尺:1/64

    キット:ジョティカ

 バジャーは1776年ジャマイカで建造されたらしいが、アメリカ独立戦争(1775-83)で英国に拿捕され英海軍に編入された。ネルソンが艦長に昇任したとき最初に着任した船である。この模型はブリック帆装であるが実物の後部マストの帆装形式はカッター帆装であったとの資料がある。またキールの船尾側は下方に湾曲している等特徴のある船である。 

 帆は布をリボン状にカットし、貼り合わせる方式で製作した。帆の向きは船首側からの風を受け風上に切り上がり帆走の状態としたが、横帆船の操帆関係の資料が少なくジブやスパンカーの展帆方法には自信がない。

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  No.30  パンドラ (PANDORA)

 

    製作者:前川 政司    船 籍:イギリス    建造年:1779年    縮 尺:1/64

    キット:自 作

 イギリス海軍の24門フリゲートで1779年に進水した。アメリカ独立戦争中は北アフリカ方面で任務についた。 1790年バウンティ号の反乱で、バウンティ号の取り戻しと反逆者を捕らえる為にエドワーズ艦長は134名の乗組員と1790年11月ポーツマスを出港した。航海中1791年8月にグレート・バリア・リーフで座礁沈没した。 

 囚人は艦尾に作られた間に合せの箱状のオリに収容されたがそれが「パンドラの箱」と呼ばれた。1977年に沈没した船が発見され、その一部が引き上げられている。

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