2020年2月 研究会ダイジェスト

丸子船について              関口 正巳さん

 

(1) 琵琶湖の丸子船模型製作の動機

  •  2017年、神奈川大学六角橋キャンパス3号館で開催された展覧会「順風満帆 千石船」で、近藤友一郎氏製作の丸子船の模型(右写真)と出会い、感銘を受けて模型製作を決意する。
  • 神奈川大学の日本常民文化研究所には、焼津の船大工3代目の近藤友一郎氏が製作、収集した和船関係の資料が譲渡されている。

(2) 丸子船の調査

  • 丸子船は、北陸からの物資を琵琶湖を通って京、大阪に輸送するための船である。
  • 構造の特徴は、「オモ木」と呼ばれる材料を船腹に使用している。
  • この「オモ木」は、丸太半割で、左右の「オモ木」を敷およびフリワケで接続し、船の大型化を行っている。
  • 丸子船は、単材刳舟からオモキ造りへの発展と、棚板造りへの発展していく過程で造られたオモキ作りの船とに分類される。
  • この丸子船は、堅牢で近年まで琵琶湖で使用されていた。 丸子船の調査に下記の施設を訪問した。

  a. 滋賀県率琵琶湖博物館 滋賀県草津市下物町

  b. 北淡海丸子船の館 滋賀県長浜市西浅井町大浦


  (3) 模型の製作

  • 各所の丸子船を調査した結果、いろいろな図面があり、模型をどうするか悩んだが、『琵博研報1995No.4』の図面で作ることにした。
  • 縮尺は25分の1で製作する。
  • 船殻の作りやすさを考えて裏返しで製作する。
  • 仮想基準線を船底から7cmの所に設ける。
  •  製作方法は、いわゆるキールフレーム・肋骨法とシェル・ファースト法に準じた方法をミックスして製作する。
  • 丸子船は、槙材を主材料としていることから、「もくもく」で槙材を調達した。
  •  細かい製材は、プロクソンの電動鉋、帯鋸(3.5mm、24歯)、米国製シックネス・サンダーを用いて所要寸法に仕上げる。
  • 船殻のプランク後の内型の取り出しやすさを検討した。
  • プランク後の型抜きを考慮して、リブフレームとキールフレームの接着はしない。
  • リブフレームに沿わせて接着せずに「敷おさえ」材を設置。
  • 「敷おさえ」に外板をプランクし、船底を作製。
  •  船首部の曲面部分は、フィラー材を挿入し、型抜きをしない一体構造とするので、メインのキ―ルフレームとは分離できる構造とする。 
断面フレーム
断面フレーム
製作用フレーム
製作用フレーム
船 体
船 体
丸子船
丸子船
船 尾
船 尾

(4) 木材の曲げ方

  • 木材の見かけ比重は、一部の種類を除いて1.0以下(水に浮かぶ)
  • 木材は、伐採時の条件により異なるが、直後の含水率は普通の場合80%
  • 伐採後、自然乾燥、人工乾燥などを経て含水率は徐々に低下する。
  • 含水率の低下に伴い強度は増加する。
  •  日本では、家具用材の含水率は13%以下と規定されている。
  • 先人の知恵として、木材は加熱すると曲げることができるということを知っていた。
  • 今日では、140~170℃程度の温度が適温ということが判明。
  • 焚火などの直火で、焦げ付かないように適宜水をかけながら曲げる。
  • 普通の煮沸では100℃で温度が低い。  
  • 工業的には加圧蒸気を使ったり、高周波加熱成型を行って適温にしている。

飯沢さん  
飯沢さん  

ビデオ放映:「DOCK」訪問      鈴木 克昌さん

 

 2部屋を続けて使用されている飯沢さんの工房を訪問し、帆船模型を始めた動機や工房の様子などをビデオで撮影してきた。帆船模型は定年退職後に始められたそうで、現在は、構造模型の設計図や、レーザーカットの研究をされているとのことだった。


和船について               古川 真一さん 

 

(1)和船の歴史について

 

a. 古代から中世の和船

  • 和船は、刳船を原型として発展した。
  • 単材刳船 → 複材刳船 → 準構造船 → 前棚板造り → 棚板造りと発展していった。
  • 古い絵巻の船の船底の黒い部分から、刳船の船腹に板を立てて大型したことがわかる。
  • 江戸時代の弁才船(千石船)は、棚板造りの船に分類される。

b. 大陸系技術の導入

  • 遣唐船は、中国からの技術導入によって日本で建造された。しかし、遣唐使の廃止によってその技術は途絶えた。
  • 室町時代の遣明船は、日本の大型商船(800石積~1800石積)を転用していた。
  • 徳川家康が始めた朱印船(1604年~1635年)は、「日本前」と呼ばれた中国などから導入されたジャンク船で、東南アジアまで貿易したが、鎖国によってその技術は途絶えた。

c. 近世の軍船

  • 平安時代、鎌倉時代までは、舷側に盾を並べた商船を戦いに使用していた。軍船らしい船が現れるのは、15世紀で、「神功皇后縁起」で櫓をあげた軍船が描かれている。
  • 戦国時代になると、安宅船(海上の城)関船(快速を誇る水上の補助艦)小早船(小型の関船)が現れる。
  • 最大の安宅船は、徳川秀忠が伊東で建造させた「安宅丸」で排水量1700㌧であるが、泰平の時代には無用の長物となり、1682年に解体された。
  •  将軍の御座船としては、「天地丸」(100㌧)があったが、ほとんど使用されなかった。

d. 近世の商船

  • 江戸時代初期の商船は、弁才船、二形船、伊勢船があったが、次第に弁才船が主流になった。
  • 弁才船、二形船、伊勢船の大きな違いは、船首の形にあった。
  • 一般にいわれる千石船は、1000石積(積載重量150㌧積)以上の船で、全体の1%程度しかなく、多くはそれ以下の小型船であった。そのため、弁才船というのが正しいと考えられる。
  • 江戸時代中期からの国内海運の発達に伴い、北前船が現れた。北前船は、第一に大きく反りあがった船首尾、第二に中船梁を兼用した湾曲した下船梁、第三に大きく張った胴の間に特徴があった。

e. 明治の帆船

  • 開国によって西洋の技術が導入された。しかし、西洋の技術と和船の技術を混合した「和洋折衷の帆船」が明治時代は数多く建造された。
  • 「和洋折衷の帆船」が現れた理由としては、西洋船構造の船は、船体構造から建造費が和船に比べ高価であったことが考えられる。
  • 明治に入ると西洋形帆船の影響で、在来系の改良船からほとんどスクーナーと見分けがつかない多種多様の帆船が出現した。
  • 帆の形と舵の形状に西洋式を取り入れている。
  •  船体は、肋材を入れ、舵を洋式にして主要部は棚板作りにした和式構造と、肋材の数を減らし、竜骨を航(かわら)と棚板作りの船底部で置き換えた西洋式構造との二通りがあった。

 (2) 和船の構造について

  • 和船の板図は、側面図と船体中央の腰当の断面と船尾の戸立の展開図のみ記載している。(竹本氏から、和船の板図は、建造後、板を削って新たな船の板図を描くため残っていないと補足があった。)
  • 後部の艫矢倉を居住兼作業区画として舳先の矢倉を低くしている。舳先と艫の垣立の間が伝馬船を搭載する伝馬込みとしている。甲板は揚げ板式で水密性に欠ける。
  • 水密甲板は、舳先の合羽と呼ばれる部分のみとなっている。
  •  艫矢倉内には轆轤(キャプスタン)があり、舵や帆を上下するのに使用した。

 (3) 和船の模型の作り方

  • 和船は、洋式船のキールフレームに相当するものがないモノコック構造のため、実船と同じ手順で製作するのが良い。
  •  板図をベースにした側面図、中央の断面図、船尾の戸立図から、CADなどで3~4枚の断面を製図するか、または、バルサなどの柔らかい板を整形して断面図を決定する。
  • 側面図と断面図から艦載艇の製作の要領で、フレームを作って外板を作り、その後フレームを取り外す。または船底の「航(かわら)」の上に断面に合わせたフレーム板を接着してベースとして外板を作った後に、フレーム板を壊して船体を作る。 
  • フレームへの船体製作(外板の貼り付け)とその後の製作は、実船の製作の手順に従って製作する